大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

難波の天皇の妹君の歌・・・巻第4-484

訓読 >>>

一日(ひとひ)こそ人も待ちよき長き日(け)をかくのみ待たばありかつましじ

 

要旨 >>>

一日ぐらいなら待たされてもよろしいけれど、こんなに幾日も長く待たされたのでは、とても生きてはいられない気持ちです。

 

鑑賞 >>>

 巻第4の巻頭歌。題詞に「難波天皇(なにはのすめらみこと)の妹(いもひと)、大和に在(いま)す皇兄に奏上(たてまつ)る御歌」とあり、仁徳天皇の異母妹の八田皇女(やたのひめみこ)が、天皇である兄にさし上げた歌とされます。

 仁徳天皇には、当時、大和最大の豪族だった葛城氏出身の磐姫(いわのひめ)という皇后がいましたが、これは、天皇家が王権を維持するために葛城氏の力と結託しようとする政略結婚だったといわれます。しかし一方で、天皇家の血脈を守るために、八田皇女を妃にするべきとの考えがあったようで、八田皇女の実兄も、是非とも妹を妃にしてほしいと、仁徳天皇に頼んでいました。磐姫は嫉妬深い女性であり、天皇が八田皇女を妃とすることを許しませんでした。しかし、天皇は皇后の留守中に八田皇女を宮中へ入れたため、怒った磐姫は帰ることなく筒城宮で亡くなりました。そして天皇は八田皇女を皇后に立てたといいます。ただ、八田皇女には子ができなかったため、次代の天皇には、磐姫が生んだ息子たちが即位しています。

 なお、この歌は、同時代に磐姫皇后が仁徳天皇を慕って作った歌とならび、『万葉集』中の最古の歌です。巻第2の巻頭にある磐姫皇后の歌に匹敵しうる、高貴かつ古い歌として巻第4の巻頭に据えられたとみられています。