大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

聞かずして黙もあらましを・・・巻第13-3303~3304

訓読 >>>

3303
里人(さとびと)の 我(あ)れに告(つ)ぐらく 汝(な)が恋ふる 愛(うるは)し夫(づま)は 黄葉(もみちば)の 散りまがひたる 神奈備(かむなび)の この山辺(やまへ)から[或る本に云く、その山辺] ぬばたまの 黒馬(くろま)に乗りて 川の瀬を 七瀬(ななせ)渡りて うらぶれて 夫(つま)は逢ひきと 人そ告げつる

3304
聞かずして黙(もだ)もあらましを何(なに)しかも君が直香(ただか)を人の告げつる

 

要旨 >>>

〈3303〉里人が私にこう告げてくれた。あなたが恋うている愛する夫は、黄葉が散り乱れる、神奈備の山裾を通って、黒馬に乗り、川の瀬を幾度も渡り、しょんぼりとした姿で出逢ったと、その人は私に言った。

〈3304〉聞かせないで黙っていてほしかった。どうしてあの人の様子を、里人は知らせたのだろう。

 

鑑賞 >>>

 この歌を挽歌とみるものもありますが、編集者はそうは認めず、相聞の中に加えています。3303の「神奈備」は、神が降りる山や森。「ぬばたまの」は「黒」の枕詞。「七瀬」は、多くの瀬。「うらぶれて」は、しょんぼりと。3304の「黙」は、黙っていること。「直香」は、ようす。

 窪田空穂は、この歌を挽歌と見るとすべて自然に感じられるとして、次のように述べています。「上代の夫妻は別居して暮らしたのと、その間を秘密にしていたなどの関係から、そのいずれかが死んだ場合にも、ただちに通知しなかったことは、挽歌に多く見えていることで、この歌もそれである。また、死者を生者のごとくいっているのは、死者を怖れる心から尊んですることであって、これも特別のことではない」

 

万葉集』の三大部立て

雑歌(ぞうか)
 公的な歌。宮廷の儀式や行幸、宴会などの公の場で詠まれた歌。相聞歌、挽歌以外の歌の総称でもある。

相聞歌(そうもんか)
 男女の恋愛を中心とした私的な歌で、万葉集の歌の中でもっとも多い。男女間以外に、友人、肉親、兄弟姉妹、親族間の歌もある。

挽歌(ばんか)
 死を悼む歌や死者を追慕する歌など、人の死にかかわる歌。挽歌はもともと中国の葬送時に、棺を挽く者が者が謡った歌のこと。

 『万葉集』に収められている約4500首の歌の内訳は、雑歌が2532首、相聞歌が1750首、挽歌が218首となっています。