訓読 >>>
3303
里人(さとびと)の 我(あ)れに告(つ)ぐらく 汝(な)が恋ふる 愛(うるは)し夫(づま)は 黄葉(もみちば)の 散りまがひたる 神奈備(かむなび)の この山辺(やまへ)から[或る本に云く、その山辺] ぬばたまの 黒馬(くろま)に乗りて 川の瀬を 七瀬(ななせ)渡りて うらぶれて 夫(つま)は逢ひきと 人そ告げつる
3304
聞かずして黙(もだ)もあらましを何(なに)しかも君が直香(ただか)を人の告げつる
要旨 >>>
〈3303〉里人が私にこう告げてくれた。あなたが恋うている愛する夫は、黄葉が散り乱れる、神奈備の山裾を通って、黒馬に乗り、川の瀬を幾度も渡り、しょんぼりとした姿で出逢ったと、その人は私に言った。
〈3304〉聞かせないで黙っていてほしかった。どうしてあの人の様子を、里人は知らせたのだろう。
鑑賞 >>>
この歌を挽歌とみるものもありますが、編集者はそうは認めず、相聞の中に加えています。3303の「神奈備」は、神が降りる山や森。「ぬばたまの」は「黒」の枕詞。「七瀬」は、多くの瀬。「うらぶれて」は、しょんぼりと。3304の「黙」は、黙っていること。「直香」は、ようす。
窪田空穂は、この歌を挽歌と見るとすべて自然に感じられるとして、次のように述べています。「上代の夫妻は別居して暮らしたのと、その間を秘密にしていたなどの関係から、そのいずれかが死んだ場合にも、ただちに通知しなかったことは、挽歌に多く見えていることで、この歌もそれである。また、死者を生者のごとくいっているのは、死者を怖れる心から尊んですることであって、これも特別のことではない」