訓読 >>>
581
生きてあらば見まくも知らず何(なに)しかも死なむよ妹(いも)と夢に見えつる
582
ますらをもかく恋ひけるをたわやめの恋ふる心にたぐひあらめやも
583
月草(つきくさ)のうつろひやすく思へかも我(あ)が思ふ人の言(こと)も告げ来(こ)ぬ
584
春日山(かすがやま)朝立つ雲の居(ゐ)ぬ日なく見まくの欲しき君にもあるかも
要旨 >>>
〈581〉生きてさえいればお逢いするかも知れないのに、どうして「死んで逢おう」などと言って夢に出てこられるのですか。
〈582〉立派な男子のあなたも、そのように恋するのですね。でも、弱い女の私が恋する苦しさに立ち並ぶことができましょうか、できはしません。
〈583〉私を露草のように移り気な女とお思いになっているからでしょうか。あなたから何の便りも届かないのは。
〈584〉春日山に朝立つ雲は、かからない日はなく、その雲のようにいつも見ていたいあなたです。
鑑賞 >>>
題詞に「大伴坂上家(おおとものさかのうえのいえ)の大嬢(おおいらつめ)が、大伴宿祢家持に報(こた)へ贈った歌」とあります。大伴坂上大嬢は家持の従妹にあたり、のち家持の正妻になった女性で、妹に坂上二嬢がいます。また、大嬢を「おほひめ」「おほをとめ」などと訓む説もあります。家持が贈った歌は載っていませんが、ここの歌は天平4年(732年)頃のもので、大嬢の歌としては初出。大嬢は10歳くらい(家持は15歳)ですので、母の坂上郎女の代作とみられています。
581の「何しかも」は、どうして。582の「ますらを」は、立派な男子。「たわやめ」は、か弱い女性。「たぐひあらめやも」の「やも」は反語で、立ち並ぶことができようか、できはしないの意。583の「月草の」は「うつろふ」の枕詞。月草は今の露草(つゆくさ)で、その花で布を染めていましたが、すぐに色褪せてしまうことから、移ろいやすく、はかない恋心の譬えに使われています。584の上2句は「居ぬ日なく」を導く序詞。「春日山」は、奈良市の東部にある春日山、御蓋山、若草山などの山の総称。