大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

君がため醸みし待酒・・・巻第4-555

訓読 >>>

君がため醸(か)みし待酒(まちざけ)安(やす)の野にひとりや飲まむ友なしにして

 

要旨 >>>

あなたと飲み交わそうと醸造しておいた酒も、安の野で一人寂しく飲むことになるのか。友がいなくなってしまうので。

 

鑑賞 >>>

 大宰帥大伴旅人が、民部卿民部省の長官)として転任することになった大弐(大宰府の次官)の丹比県守(たじひのあがたもり)に贈った歌。丹比県守は、左大臣正二位多治比嶋の子で、唐に派遣されたこともある人です。家柄からして、旅人にとっては胸襟を開いて接することができた、ごく少数の友だったとみえます。「醸みし待酒」は、訪れ来る人を接待するために醸造して用意していた酒の意。「安の野」は、大宰府の東南にあった野で、大宰府から東南約12km、大宰府の官人がよく野遊びをしていた所です。

 酒の醸造方法は、古くは「口醸(くちか)み」とされ、女性が蒸し米を口でよく噛み、唾液の作用で糖化させ、容器に吐き入れたものを、空気中の酵母によって発酵させるというものでした。そこから醸造することを「醸(か)む」「醸(かも)す」と言います。ただし、この歌が詠まれた奈良時代には、すでに麹を用いた酒造が行われていたことが、播磨風土記や職員令集解造酒司条古記の記事からも知られます。

 この歌が詠まれたのは、神亀6年(729年)2月の頃と見られ、丹比県守の後任が、巻第5の「梅花の歌」32首の最初の歌を詠んだ紀男人(きのおひと)だろうとされます。なお、家持の妹の留女之女郎(りゅうじょのいらつめ)が丹比(多治比)家に居住していたと見られることから、丹比郎女(たじひのいらつめ:生没年未詳)が、旅人の妻で家持および留女之女郎の生母と考えられています。また、ここの丹比県守が丹比郎女の父ではなかいかとの説があります。

大伴家持が、妹の留女之女郎に贈った歌

 

 

大伴旅人の形容詞・動詞

 国文学者の井村哲夫は、旅人の歌について、次のように評釈しています。

 ―― 旅人は全作品中、27個の形容詞を41度用い、その使用率は集中主要な作品中、高率の部に属する。それも、空し・悲し・苦し・楽し・涙ぐまし・醜し、その他のように情感を直截にあらわすものが多い。旅人の作品がすなおで明快な印象をもつ一つの理由になっている。また、旅人の動詞214語は、そのうちに複合動詞を8個しか含まず、これは集中主要な作者の中では例外的に最低の使用率であり、その作歌が単純率直、歯切れの良いリズムを持つ一つの理由になっている。

 

『万葉集』掲載歌の索引

大伴旅人の歌(索引)