大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

東歌(23)・・・巻第14-3411

訓読 >>>

多胡(たご)の嶺(ね)に寄(よ)せ綱(づな)延(は)へて寄すれどもあに来(く)やしづしその顔(かほ)よきに

 

要旨 >>>

多胡の嶺に綱をかけて引き寄せようとしても、ああ悔しい、びくともしない、その顔が美人ゆえに。

 

鑑賞 >>>

 上野(かみつけの)の国の歌。「多胡の嶺」は、多胡の地の山ながら所在未詳。「寄せ綱延へて」は、重い物を引き寄せる綱を延ばしてかけて。遠い土地に綱を掛けて引き寄せるという古代の信仰や自然観は、祈年祭祝詞に「遠き国は八十綱うち懸けて引き寄することの如く」とあり、また出雲風土記には国引き神話としてあるもの。ここは、美貌の女に言い寄って何とか相手の気を引こうとする譬喩。「あに来や」は、どうして寄って来ようか、来はしない。女が一向に靡いてこない譬喩。「しづし」は語義未詳ながら、「静し」で「静けし」の方言と見る説があり、山がじっとして動かない意。「その顔よきに」は、その顔がよいことによって、その美貌をいいことに。

 女にまったく相手にされなかった男の自嘲の歌であり、窪田空穂は、「風の変わった、手腕のある歌」と評しています。また、東歌の中に、国引き神話のような古い信仰や思想が垣間見えるのも面白いところです。

 

 

国引き神話

 昔々、出雲の創造神である八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)は、出来上がった出雲の国を見渡して「この国は、細長い布のように小さい国だ。どこかの国を縫いつけて大きくしよう」とお思いになった。海の向こうを見渡すと、新羅(しらぎ)という国に余った土地があった。そこで、大きな鋤(すき)を手に取って、大きな魚の身を裂くように、ぐさりと土地に打ち込んで土地を掘り起こして切り離した。そして三つ編みにした強い綱をかけて、「国来(くにこ)、国来」と言いながら力一杯引き寄せると、その土地は川船がそろりそろりと動くようにゆっくりと動いてきて出雲の国にくっついた。そうして合わさった国は、杵築(きづき)のみさき(出雲市小津町から日御碕まで)になった。その時に、引っ張った綱をかけた杭が佐比売山(さひめやま:現在の三瓶山)で、その綱は園の長浜になった。その後も、北方の国から同じように狭田(さだ)の国(小津から東の鹿島町佐陀まで)と、闇見(くらみ)の国(松江市島根町のあたり)を引っ張ってきてつなぎ、最後に北陸地方の高志(こし)の国から引っ張ってきた国が三穂の埼(松江市美保関町のあたり)になった。この時に引っ張った綱をかけた杭は伯耆の国の火の神岳(ひのかみたけ:現在の大山)で、引っ張った綱は夜見の島(弓ヶ浜)になった。

 

※ 参考文献はこちらに記載しています。⇒『万葉集』について

『万葉集』掲載歌の索引