大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

恋しけば形見にせむと・・・巻第8-1471

訓読 >>>

恋しけば形見(かたみ)にせむと我(わ)がやどに植ゑし藤波(ふぢなみ)今咲きにけり

 

要旨 >>>

恋しくなったら、その人を思い出すよすがにしようと、私の庭に増えた藤の花が、今ようやく咲いた。

 

鑑賞 >>>

 山部赤人の歌。「恋しけば」は、恋しくなったら。「形見」は、人や過ぎ去ったことを思い出す種となるもの。「藤波」は、藤の花の状態を具象化した歌語。この歌について窪田空穂は、次のように評しています。

「いっているところは単純であるが、その単純は気分化していっているがためで、したがって余情をもった作である。事としては、関係は結んだが、その後は逢える望みのない女を思うことであるが、それはすべて背後に押しやり、直接には一語も触れていない。『恋しけば形見にせむと』は、そのことをあらわしているものであるが、『植ゑし藤浪』は、それだけにとどまらず、その女と相逢った時を思わせる唯一の物という関係のものにみえる。すなわち微細な味わいをもったものである。『今咲きにけり』と、それを中心とし、詠歎をもっていっているのは、それによってその女が現前するごとく感じてのものとみえる。一首、細かい気分を織り込み、おのずから、それを漂わしている歌である。奈良朝中期以後の、気分本位の歌の傾向は、すでに赤人が開いているとみえる歌である」