訓読 >>>
恋しけば形見(かたみ)にせむと我(わ)がやどに植ゑし藤波(ふぢなみ)今咲きにけり
要旨 >>>
恋しくなったら、その人を思い出すよすがにしようと、私の庭に増えた藤の花が、今ようやく咲いた。
鑑賞 >>>
山部赤人の歌。「恋しけば」は、恋しくなったら。コホシケバとも訓めますが、記紀歌謡が「コホシ」の用例のみであるところから、コホシはコヒシに比べて古形と見られています。「形見」は、人や過ぎ去ったことを思い出す種となるもの。「藤波」は、藤の花の状態を具象化した歌語であり、散文には用いられません。この歌について窪田空穂は、次のように評しています。
「いっているところは単純であるが、その単純は気分化していっているがためで、したがって余情をもった作である。事としては、関係は結んだが、その後は逢える望みのない女を思うことであるが、それはすべて背後に押しやり、直接には一語も触れていない。『恋しけば形見にせむと』は、そのことをあらわしているものであるが、『植ゑし藤浪』は、それだけにとどまらず、その女と相逢った時を思わせる唯一の物という関係のものにみえる。すなわち微細な味わいをもったものである。『今咲きにけり』と、それを中心とし、詠歎をもっていっているのは、それによってその女が現前するごとく感じてのものとみえる。一首、細かい気分を織り込み、おのずから、それを漂わしている歌である。奈良朝中期以後の、気分本位の歌の傾向は、すでに赤人が開いているとみえる歌である」
人麻呂と赤人の歌風の違い
明治から昭和初期にかけて活躍した歌人の中村憲吉は、人麻呂と赤人のそれぞれの歌風について、次のような論評を行っています。
―― 人麻呂の歌の上に現れるものは、まず外部に向かって強く興奮する意志感情と、これを自在に斡旋する表現才能とである。しかしこの興奮も気魄もまたその表現才能も、畢竟は作者が内に真摯の生命を深くひそめていてこそ、はじめてその強い真実性の光を放つのであって、然らざる限りは、これらの特色はただその歌を一種のこけおどし歌たらしめ、浮誇粉飾を能事とする歌たらしむるに過ぎないであろう。
この人麻呂の歌風の陥るべき危険性については、賀茂真淵が早くより「上つ代の歌を味ひみれば、人麻呂の歌も巧を用ひたるところ、猶後につく方なり」といい、伊藤佐千夫も「予が人麻呂の歌に対する不満の要点をいえば、(1)文彩余りあって質これに伴わざるもの多きこと、(2)言語の慟が往々内容に一致せざること、(3)内容の自然的発現を重んぜずして形式に偏した格調を悦べるの風あること、(4)技巧的作為に往々 匠氣(しょうき:好評を得ようとする気持ち))を認め得ること」といい、島木赤彦も「人麻呂は男性的長所を最もよく発揮し得た人であって、歌の姿が雄偉高邁であると共に、その長所に辷り過ぎると、雄偉が騒がしくなり、高邁が跳ねあがり過ぎるという欠点があるようである」といって注意の目を放ったところである。
赤人の歌はこれに反して、感情の興奮を内に深く鎮めて蔵するところにその特色が存し、もって人麻呂の表現態度とは対蹠的の立場にあることを示している。これは畢竟赤人の敬虔温雅な趣味性格に帰着する問題であるが、これがために赤人の歌の表現態度は人麻呂に比して、消極的で穏正であって、その意志感情を直接対象の上に活躍せしめていない。だから赤人の歌では対象はその素朴平明な姿をありのままに現わしていて、その客観性は厳然と保有されている。故に何らかの作者の主観感情が直接読者の胸にふれてくるとしたらば、それはこの客観性のある微妙なる間隙から油然としてしみ出ずるがためである。赤人の歌では外面に現れているものは、事象の真であって作者の意志感情の力ではない。しかし文学上の真は一般的の真とは異なり、事象を把握する感情の深浅強弱によって成立するが故に、対象の客観的描写のなかに作者の深くひそめる感奮と情熱があってこそ、はじめてその歌が生気を帯び、光彩を放ってくるのである。然らざる限りは、この種の歌の外形的描写の自然さも、素直さも、平明さも、畢竟は無気力と平板と乾燥無味とを意味するものに他ならないのである。これ赤人が一歩あやまれば陥るべき病所なのである。――
※ 参考文献はこちらに記載しています。⇒『万葉集』について