大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

仙柘枝(やまびとつみのえ)の歌・・・巻第3-385~387

訓読 >>>

385
霰(あられ)降り吉志美(きしみ)が岳(たけ)を険(さか)しみと草取りかなわ妹(いも)が手を取る

386
この夕(ゆふへ)柘(つみ)のさ枝(えだ)の流れ来(こ)ば梁(やな)は打たずて取らずかもあらむ

387
いにしへに梁(やな)打つ人のなかりせばここにもあらまし柘(つみ)の枝(えだ)はも

 

要旨 >>>

〈385〉吉志美が岳が険しいので、草をつかみつつ登ったが、うっかりつかみ損ない、あなたの手をつかんだよ。

〈386〉この夕方、柘の枝が流れて来たなら、梁を仕掛けていないので、枝を取らずじまいになるのではなかろうか。

〈387〉遠い昔に梁を仕掛けた味稲(うましね)という人がいなかったら、今もここに柘の枝があるだろうに。

 

鑑賞 >>>

 「仙柘枝」は、柘枝(つみのえ)という名の仙女のことで、その仙女に関する歌。『懐風藻』や『続日本後記』などにもある記述を総合すると、次のような伝説があったことが知られます。

 遠い昔、吉野に味稲(うましね)という男がいて、川に梁(やな)を仕掛けて鮎をとる生活をしていた。ある日、川上から柘(つみ:山桑の枝)が流れてきて梁にかかったので、取り上げて家に持ち帰ったところ、突然、絶世の美女に変身した。味稲は大いに驚き、かつ喜び、妻にして仲睦まじく暮らしていた。しかし、この美女は仙女の仮の姿であったので、やがて領巾布(ひれぬの)をまとって昇天した。

 385の左注に、右の一首は、あるいは味稲(うましね)が、柘枝の仙媛(やまびめ)に贈った歌であるというが、柘枝伝(しゃしでん)にこの歌は見えない、とあり、当時は『柘枝伝』という書物があったようです。386は作者未詳。387は、若宮年魚麻呂(わかみやのあゆまろ:伝未詳)の作。

 385の「霰降り」は、霰に打たれた物がきしむ音を立てることから、類音の「吉志美」にかかる枕詞。「吉志美が岳」は、吉野山中の一嶺とみられるものの、所在未詳。「険しみ」は、険しいので。「かなわ」は、語義未詳。「かねて」の意か。「手を取る」は、求婚の意を表すしぐさ。386の「梁」は、川に杭を並べて流れを狭くし、網や簀を張って魚を獲る仕掛け。387は、386と共に、味稲を羨んでいる歌です。

 なお、「仙柘枝」に関して、窪田空穂は次のように解説しています。「仙人は、山に住み、仙草を食うことによって不老の身となり、また仙術によって空を飛行し、自由にその身の形を変じうる者とされていた。これは中国から渡来した思想であって、やや古い時代から行なわれており、流布もしていたものである。しかしわが国に喜ばれたのは、その仙人の中の仙女のほうで、仙女というよりもむしろ天女というべきものであった。仙人は地上の人の仙術を得た者で、畢竟(ひっきょう)人間であるが、天女は天の神の侍女で、中国で信ずる天の神、あるいは仏教の範囲のもので、本来天上のものである。わが国で最も喜ばれたのは天女のほうで、神の譴(とが)めをこうむって下界に下り、または自身の意志で、時あって下って来、さまざまな形において人間との交渉をもつという方面である。風土記にある天女、竹取物語かぐや姫などがそれである。この柘枝もその範囲のものである」