訓読 >>>
3731
思ふゑに逢ふものならばしましくも妹(いも)が目(め)離(か)れて我(あ)れ居(を)らめやも
3732
あかねさす昼は物思(ものも)ひぬばたまの夜(よる)はすがらに音(ね)のみし泣かゆ
3733
我妹子(わぎもこ)が形見(かたみ)の衣(ころも)なかりせば何物(なにもの)もてか命(いのち)継(つ)がまし
3734
遠き山(やま)関(せき)も越え来(き)ぬ今更(いまさら)に逢ふべきよしのなきがさぶしさ
3735
思はずもまことあり得(え)むやさ寝(ぬ)る夜(よ)の夢(いめ)にも妹(いも)が見えざらなくに
要旨 >>>
〈3731〉思う故に逢えるものであったならば、ほんのしばらくの間でも彼女と離れていられようか、いられはしない。
〈3732〉明るい昼は昼で物思いに沈むばかり、夜は夜で夜通し声を上げて泣きたいばかりだ。
〈3733〉いとしい彼女の形見の衣、この衣がなかったら、何を頼りに私は命をつなぐことができよう。
〈3734〉遠い山々も関も越えてやってきた。今となっては、あなたに逢える何の手段もないのが寂しい。
〈3735〉あなたを思わずにいるなんてことが、本当にできるのだろうか。寝る夢の中にさえ、あなたが見えて仕方がないのに。
鑑賞 >>>
中臣宅守が、配流地の越前国に着いて作った歌14首のうちの5首。3731の「しましくも」は、暫くの間でも。「目離れて」は、遠ざかって、逢わなくなって。3732の「あかねさす」「ぬばたまの」は、それぞれ「昼」「夜」の枕詞。「すがらに」は、その間ずっと、もっぱら。
3733の「形見」は、離れている人を思い出す拠りどころとなるもの。当時は、その人の身に着いていた物には、その人の魂が宿っていると信じられていました。3734の「関」は、愛発の関。当時、日本三関として、東海道には鈴鹿、東山道には不破、北陸道には愛発の関がありました。3735の「さ寝る」の「さ」は、接頭語。