大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

防人の歌(16)・・・巻第20-4357~4359

訓読 >>>

4357
葦垣(あしがき)の隈処(くまと)に立ちて我妹子(わぎもこ)が袖(そで)もしほほに泣きしぞ思(も)はゆ

4358
大君(おほきみ)の命(みこと)畏(かしこ)み出(い)で来れば我(わ)の取り付きて言ひし子なはも

4359
筑紫辺(つくしへ)に舳(へ)向(む)かる船のいつしかも仕(つか)へまつりて国に舳(へ)向(む)かも

 

要旨 >>>

〈4357〉葦の垣根の隈に立って、愛しい妻が袖もぐっしょり濡れるほどに泣いた。その姿が思い出されてならない。

〈4358〉大君の仰せを恐れ畏んで旅立つその時に、私にしがみついてあれこれ訴えていた可愛い女よ、ああ。

〈4359〉筑紫の方角に舳先を向けて進む船は、いつかになったら任務を終えて、故郷へ舳先が向くのだろうか。

 

鑑賞 >>>

 上総国の防人の歌。作者は、4357が同国市原郡(いちはらのこおり)の刑部直千国(おさかべのあたいちくに)、4358が種淮郡(ずえのこおり)の物部竜(もののべのたつ)、4359が長柄郡(ながらのこおり)の若麻続部羊(わかおみべのひつじ)。

 4357の「隈処」は、曲がったところ、物陰。「しほほ」は、水にびっしょりと濡れている形容。秘密にしていた関係の妻だったのでしょうか、人目を忍んで別れを惜しみ、ひどく泣いたようすが歌われています。

 4358の「子な」は「子ら」の方言。「子」は、男性が女性を親しんで言う語。「はも」は、強い詠嘆。この歌について窪田空穂は、「この妻も人には秘密にしてある関係の者なので、晴れての見送りもできず、男の旅の通路に待ち構えていて、ひそかに男に逢ったことをあらわしている」と言い、斎藤茂吉は「『我の取り付きて言ひし子なはも』の句は、現実に見るような生き生きしたところがあっていい」と評しています。

 4359は、難波津から乗ろうとする船を眺めて作った歌。「筑紫辺に」は、筑紫の方へ。「向かる」は「向ける」の方言。「いつしかも」は、いつになれば。「仕へまつりて」は、任務を完了して。

 

「軍防令」による兵役義務

 大宝令における「軍防令」の規定では、正丁(21歳から60歳までの男子)は3人に1人の割合で兵役につくものと定められていました。

 兵士たちは各国に置かれた軍団に入り、その人員は普通1000人で、約1か月の訓練を受けました。租、庸、調、雑、徭などの課税のほかに、この兵役は農民にとって苦しいものでしたが、それでも、これは国元でのことであり、もっと辛い役割がありました。

 それは遠い都に遣られる衛士と、さらに遠方の九州につかわされる防人です。衛士は、天皇の護衛隊のことで、五衛府に属して宮門の整備や雑役に当り、任期は1年。防人の任期は3年でした。

 兵士の全員が衛士や防人になったわけではなく、中央政府から提供を命じられた国司が、正丁の中から該当者を選抜しました。ただ、任命の対象から外された者もあり、父子、兄弟の間から既に兵士が出ている者、父母が高齢だったり病気だったりした者のほか、その家に当該者以外の成年男子がいない場合などでした。

 また、3年という任期は、あくまで任地に着いてからの計算であり、出立して任地に着くまでの何か月かは含まれませんでした。