大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

白雪の常敷く冬は・・・巻第10-1886~1889

訓読 >>>

1886
住吉(すみのえ)の里行きしかば春花(はるはな)のいやめづらしき君に逢へるかも

1887
春日(かすが)なる三笠(みかさ)の山に月も出(い)でぬかも 佐紀山(さきやま)に咲ける桜の花の見ゆべく

1888
白雪(しらゆき)の常(つね)敷(し)く冬は過ぎにけらしも 春霞(はるかすみ)たなびく野辺(のへ)の鴬(うぐひす)鳴くも

1889
我(わ)が宿(やど)の毛桃(けもも)の下(した)に月夜(つくよ)さし下心(したごころ)よしうたてこのころ

 

要旨 >>>

〈1886〉住吉の里に出かけたら、春の花のような、格別すばらしい方に出会いました。

〈1887〉春日の三笠の山に月が出ないだろうか、佐紀山に咲いている桜の花が見えるように。

〈1888〉白雪がいつも降り積もっていた冬は過ぎ去ったようだ。春霞がたなびき野辺では鶯が鳴いている。

〈1889〉我が家の庭の毛桃の 木の下に、月光が射し込んで、ひそかに気分がよい、不思議にこのごろは。

 

鑑賞 >>>

 1886は、「逢へるを懽(よろこ)ぶ」とある歌。「住吉」は、大阪市住吉区。「春花の」は「めづらし」の枕詞。「いや」は、とても、ますます。「めづらし」は、愛でたい、すばらしい。

 1887・1888は、旋頭歌(5・7・7・5・7・7の形式)2首。1887の、山というよりは丘のような佐保山と佐紀山の裾は、かつて平城山(ならやま)と呼ばれ 大宮人の憩いの場でした。平城宮跡から北を見渡せば、そのゆるやかな起伏を望むことができます。窪田空穂は、宴歌として詠んだものと思われるとして、「旋頭歌は短歌よりはるかに謡い物的で、また実際に謡う上でも、短歌より伸びやかなので、宴歌には適した形である。奈良朝は復古気分の興っていた時代であるから、一度は衰えた旋頭歌が、そうした場合には喜ばれたことと思われる」と述べています。「佐紀山」に「咲ける」「桜」と、「さ」の音が連続するところが、心地よい調子となっています。

 1888の「常敷く」は、長く敷いている。旋頭歌の形式を用い、前半の3句で冬の特色とその去ったことを言い、後半の3句で春の特色とその到来したことを言って、対照法を用いて言い表しています。

 1889の「毛桃」は、実の外側に毛の多い桃。「下心」は、内心。「うたて」は、不思議に、いつもと違って。何で気分がよいのか全く言っていませんが、長年の恋心が成就しそうなのか、あるいは「月夜さし」は、娘の初潮の比喩ではないかとする見方があります。娘が一人前になったことを喜んでいるのでしょうか。

 

 

歌の形式

片歌
5・7・7の3句定型の歌謡。記紀に見られ、奈良時代から雅楽寮・大歌所において、曲節をつけて歌われた。

旋頭歌
 5・7・7、5・7・7の6句定型の和歌。もと片歌形式の唱和による問答体から起こり、第3句と第6句がほぼ同句の繰り返しで、口誦性に富む。記紀万葉集に見られ、万葉後期には衰退した。

長歌
 5・7音を3回以上繰り返し、さらに7音の1句を加えて結ぶ長歌形式の和歌。奇数句形式で、ふつうこれに反歌として短歌形式の歌が1首以上添えられているのが完備した形。記紀歌謡にも見られるが、真に完成したのは万葉集においてであり、前期に最も栄えた。 

短歌
 5・7・5・7・7の5句定型の和歌。万葉集後期以降、和歌の中心的歌体となる。

仏足石歌体
 5・7・5・7・7・7の6句形式の和歌。万葉集には1首のみ。

『万葉集』掲載歌の索引