訓読 >>>
1904
梅の花しだり柳(やなぎ)に折(を)り交(まじ)へ花に供へば君に逢はむかも
1905
をみなへし佐紀野(さきの)に生(お)ふる白(しら)つつじ知らぬこともて言はれし我(わ)が背(せ)
1906
梅の花 我(わ)れは散らさじあをによし奈良なる人も来つつ見るがね
1907
かくしあらば何か植ゑけむ山吹(やまぶき)の止む時もなく恋(こ)ふらく思へば
1908
春されば水草(みくさ)の上に置く霜の消(け)につつも我(あ)れは恋ひわたるかも
要旨 >>>
〈1904〉梅の花をしだれ柳に折りまぜて、仏にお供えして祈ったら、あの方に逢えるだろうか。
〈1905〉佐紀野一面に生い茂る白つつじではないけれど、身に覚えのないことで噂を立てられてしまったあなた。
〈1906〉梅の花を散らさないようにしています。大宮にお勤めのあの方がやってきてご覧になれるように。
〈1907〉こんなことだったら、植えなければよかった。ヤマブキのように、思いの止まない恋しさを思うと。
〈1908〉春になると、水草の上の霜がすぐに消えてしまうように、消えそうになりながらも私は恋い続けています。
鑑賞 >>>
「花に寄せる」歌。1904の「花に」は、供華としてで、仏に供える花。「かも」は、疑問。仏に恋を祈る歌として時代的に珍しいものです。1905の「をみなえし」は「佐紀野」の枕詞。「佐紀野」は、奈良市の佐紀山の南の地。上3句は「知らぬ」を導く序詞。「知らぬこともて」は、身に覚えのないことをもって。窪田空穂は、「疎遠な夫に贈った歌である。恨みを皮肉にいったものであるが、婉曲に徹底させていて、じつに巧みである。その序詞も、花の名を二つまで重ねて美しくしているのは、皮肉を婉曲化する上に役立たせている。才女の口吻で、その才が夫を疎遠にさせていたのかもしれぬ」と言っています。
1906の「あをによし」は「奈良」の枕詞。「がね」は、~となるように、~だろうからの意。1907の「かくしあらば」は、こんなことだったら。「何か植ゑけむ」の「けむ」過去の原因推量で、どうして植えたのだろうか。「止む時もなく」は、絶えず。「恋ふらく」は「恋ふ」の名詞形。見に来てくれると思って植えたヤマブキ。しかし、恋しい相手は一度も見に来てくれない・・・と嘆いています。1908は「霜に寄せる」歌。上3句は「消」を導く序詞。