訓読 >>>
1909
春霞(はるかすみ)山にたなびきおほほしく妹(いも)を相(あひ)見て後(のち)恋ひむかも
1910
春霞(はるかすみ)立ちにし日より今日(けふ)までに我(あ)が恋やまず本(もと)の繁(しげ)けば [一云 片思にして]
1911
さ丹(に)つらふ妹(いも)を思ふと霞(かすみ)立つ春日(はるひ)もくれに恋ひわたるかも
1912
たまきはる我(わ)が山の上(うへ)に立つ霞(かすみ)立つとも居(う)とも君がまにまに
1913
見わたせば春日(かすが)の野辺(のへ)に立つ霞(かすみ)見まくの欲(ほ)しき君が姿か
1914
恋ひつつも今日(けふ)は暮らしつ霞(かすみ)立つ明日(あす)の春日(はるひ)をいかに暮らさむ
要旨 >>>
〈1909〉春霞が山にたなびきぼんやりかすんでいるように、かすかにあの子に逢ったばかりに、後々まで恋し思うことになるのだろうか。
〈1910〉春霞が立ち始めた日から今日まで、ずっと私の恋心がやむことがない。心の奥が思いでいっぱいなので。(片思いであるので)
〈1911〉美しい顔色のあの子のことをずっと思い、霞の立つ春の日も暗く思えるほど恋続けている。
〈1912〉山の上に霞が立つように、立っていましょうか、それとも座っていましょうか、あなたの意のままに。
〈1913〉見わたすと、春日の野辺に霞がかかっています。この眺めのように、いつも見ていたいあなたのお姿です。
〈1914〉恋つつも今日一日は何とか過ごしました。でも、霞が立つ明日の春日をどのようにして過ごしたらいいのでしょう。
鑑賞 >>>
「霞に寄せる」歌。1909の上2句は「おほほしく」を導く序詞。「おほほしく」は、ぼんやりと、わずかに。1910の「本の繁けば」の「本」は、幹。 木立が繁っている状態を、心の深いことを具象化していったもの。1911の「さ丹つらふ」の「さ」は接頭語。頬のほんのりと紅い意で、「妹」の枕詞。1912の「たまきはる」は「我」の枕詞ながら、掛かり方は未詳。上3句は「立つ」を導く序詞。「居(う)」は、座る。「まにまに」は、心のままに。1913の上3句は「見まく欲しき」を導く序詞。「姿か」の「か」は、詠嘆。1914の「霞立つ」は「春」の枕詞。立春の前日の思いをうたっているようです。
なお、「霞」と同じように視界を遮る現象に「霧」がありますが、万葉の人々には、霞が自分とは距離を隔てた所にあるのに対し、霧は自らをも包み込んでしまうものと把握されていたようです。