大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

春山の馬酔木の花の悪しからぬ・・・巻第10-1926~1927

訓読 >>>

1926
春山の馬酔木(あしび)の花の悪(あ)しからぬ君にはしゑや寄(よ)そるともよし

1927
石上(いそのかみ)布留(ふる)の神杉(かむすぎ)神(かむ)びにし我(あ)れやさらさら恋にあひにける

 

要旨 >>>

〈1926〉春の山に咲く馬酔木の「あし」ではありませんが、悪しき人とも思えないあなたとなら、えいままよ、噂になっても構いはしません。

〈1927〉石上の布留の社の神杉のように、神々しく年老いた私が、今また恋に逢ってしまいました。

 

鑑賞 >>>

 問答歌(問いかけの歌とそれに答える歌によって構成される唱和形式の歌)。1926は女の歌、1927はそれに答えた男の歌。1926の上2句は、「馬酔木」の同音反復で「悪しからぬ」を導く序詞。「しゑや」は、えいままよと捨て鉢な気持ちを表す語。「寄そる」は、言い寄せられる、噂を立てられる意。1927の「石上布留」は、奈良県天理市石上神宮周辺の地。石上神宮は『日本書紀』にも登場する最古の神社の一つで、今も神 木の杉が境内にそびえています。上2句は「神杉」の同音で「神びにし」を導く序詞。「神ぶ」は、神々しくなる、転じて、老いる。「さらさら」は、今さら。

 1926の歌について、窪田空穂は、次のように解説しています。「女が男の求婚に対して承諾の意を詠んだ歌である。これに対する男の歌が次にあるので、この求婚は仲介者を立てて言い入れたものとみえる。問答としては問にあたる歌なのである。答歌によると男は、年老いた人であり、女も『君』という敬称を用いているので、身分の隔たりのある問と取れる。『悪しからぬ』も、『寄そるともよし』も、内心に喜んでいるのではなく、思い諦めてという条件つきのものであろう。『しゑや』の間投詞は、ことにそれを思わせる」。

 

 

石上神宮

 日本最古の神社の一つである石上神社の創始は明らかではありませんが、神武天皇が東征のとき賊を平定したという布都御魂(ふつのみたま:霊剣)を御神体として、布留山(標高266m)を背に鎮座しています。大和朝廷の武器庫でもあり、武門の棟梁たる物部氏が管理にあたりました。

 「石上」は、神宮付近から西方一帯にかけてを広く称し、「布留」は神宮周辺の地名です。御神体の「布都」が転じたとも、刀剣を「振る」に由来するともいわれます。万葉人は「布留」の語感に神聖さと親しみを抱いていたらしく、甘美な恋の歌が多くあります。

 

 

『万葉集』掲載歌の索引

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