大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

中臣宅守と狭野弟上娘子の贈答歌(6)・・・巻第15-3750~3753

訓読 >>>

3750
天地(あめつち)の底(そこ)ひの裏(うら)に我(あ)がごとく君に恋ふらむ人は実(さね)あらじ

3751
白たへの我(あ)が下衣(したごろも)失はず持てれ我(わ)が背子(せこ)直(ただ)に逢ふまでに

3752
春の日のうら悲(がな)しきに後(おく)れ居(ゐ)て君に恋ひつつ現(うつ)しけめやも

3753
逢はむ日の形見(かたみ)にせよとたわや女(め)の思ひ乱れて縫へる衣(ころも)そ

 

要旨 >>>

〈3750〉天地の底の裏まで探したところで、私ほどあなたに恋い焦がれている人は本当にいないでしょう。

〈3751〉私が差し上げた真っ白な下着を、なくさないように持っていて下さい、あなた。じかにお逢いできる日が来るまで。

〈3752〉春の日のもの悲しい上に、一人取り残されて、あなたを恋い焦がれてばかりいて、どうして正気でいられるものでしょうか。

〈3753〉再び逢える日までの形見にしてほしいと、か弱い女の身のこの私が、思い乱れつつ縫った着物なのです、これは。

 

鑑賞 >>>

 娘子が、都に留まって悲しんで作った歌9首のうちの4首。3750の「天地の底ひの裏に」は、天地の底のまた裏まで探したところで。「実」は、本当に、決して。3751の「白たへの」は「下衣」の枕詞。「待てれ」は「待てり」の命令形。衣服や下着を贈ることは、自分の魂を相手の身の近くに置く呪術の一つでありました。3752の「後れ居て」は、後に残されていて。「現しけめやも」は、確かな心でいられようか、いられはしないの意の慣用句。3753の「たわや女」は、弱い女としての謙遜の語で、撓(たわ)む意から生じた語といわれます。「手弱女」と書くのは当て字。この歌から、娘子は、形見の衣として元からあったものを贈ったのではなく、配流となった宅守のためにわざわざ縫ったことが分かります。

 なお、3752で「春の日のうら悲しきに」と歌っていることについて、万葉の時代が下ると、春は物悲しい気分を感じさせる季節として捉えられるようになってきます。これは中国文学の影響と見る説があり、春は甦りと喜びの季節であるものの、同時にその悲哀を歌うことは、六朝時代以降の文学伝統だったといいます。春を彩る花の「盛り」の裏には、やがて散りゆく「うつろひ」の悲しさが予想されるからだ、と。