大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

わが行きは七日は過ぎじ・・・巻第9-1747~1748

訓読 >>>

1747
白雲(しらくも)の 龍田(たつた)の山の 瀧(たき)の上の 小椋(をぐら)の嶺(みね)に 咲きををる 桜の花は 山高み 風しやまねば 春雨の 継ぎてし降れば ほつ枝(え)は 散り過ぎにけり 下枝(しづえ)に 残れる花は しましくは 散りな乱ひそ 草枕(くさまくら) 旅行く君が 帰り来るまで

1748
わが行きは七日は過ぎじ竜田彦(たつたひこ)ゆめこの花を風にな散らし

 

要旨 >>>

〈1747〉竜田山の滝の上の小倉山に、枝がぶらぶらになるほど咲いている桜の花は、山が高くて風がやまず、春雨が続けざまに降るので、枝の先のほうはもう散ってしまった。下枝に残っている花は、せめてもうしばらくの間、散り乱れないでほしい。せめて難波へ旅立たれたお方が帰っていらっしゃるまで。

〈1748〉我らの旅は七日以上にはなるまい。だから竜田彦よ、それまでこの花を風に散らさないでおくれ。

 

鑑賞 >>>

 高橋虫麻呂の歌。某年3月、諸卿大夫らの人々が難波へ下った時の歌。天平6年3月の聖武天皇行幸に先立っての検分または準備のための旅ではなかったかとする見方があります。虫麻呂は、随員として従っていたようです。

 1747の「白雲の」は「立つ」と続き「竜田山」の枕詞。「竜田山」は、現在の奈良県生駒郡三郷町の龍田本宮(たつたほんぐう)の西にある山地。「咲きををる」は、満開の花の豊かなさま。「山高み」は、山が高いので。「風し」の「し」は、強意。「ほつ枝」は、花が早く咲く上の枝。「しましくは」は、しばらくは。「草枕」は「旅」の枕詞。「旅行く君」は、ここでは虫麻呂の上司である藤原宇合不比等の子)を指しています。

 1748の「竜田彦」は竜田神社の祭神で、風の神様。「ゆめ」は(禁止の語を伴い)決して。「風にな散らし」の「な」は、禁止。