大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

桜田へ鶴鳴き渡る年魚市潟・・・巻第3-270~271

訓読 >>>

270
旅にしてもの恋(こひ)しきに山下(やまもと)の赤のそほ船(ぶね)沖にこぐ見ゆ

271
桜田へ鶴(たづ)鳴き渡る年魚市潟(あゆちがた)潮(しほ)干(ひ)にけらし鶴鳴き渡る

 

要旨 >>>

〈270〉旅先なので何となくもの恋しい。ふと見ると、先ほどまで山裾にいた朱塗りの船が沖のあたりを漕いでいくのが見える。

〈271〉桜田の方へ鶴が鳴いて渡っていく。年魚市潟の潮が引いたらしい。鶴が鳴いて渡っていく。

 

鑑賞 >>>

 題詞に「高市連黒人(たけちのくろひと)が羈旅の歌八首」とあるうちの2首。高市黒人柿本人麻呂とほぼ同時代の下級官人。生没年未詳。東国地方に関する歌が多いことから、国庁に仕えていたとみられます。黒人が残している歌はすべて旅の歌であり、しかも彼の歌には、漕ぎ去る舟、飛び去る鳥、落ちていく太陽、散り尽くす落ち葉、荒れ果てた都など、「去る」ものや「消えていく」ものが多く歌われているのが特徴です。その後に一人残る空しさに、黒人独特の旅愁を抱いたようです。

 270の「赤のそほ船」の「そほ」は、赤土のことで、船体に赤土を塗った船。そほを塗るのは船体の腐食を防ぐためであり、また、赤い色は魔よけの意味を持っていました。旅先で官船らしき船を見て、都に思いを馳せているのでしょうか。271の「桜田」は、今の名古屋市南区桜田町。「年魚市潟」は、名古屋市南部の入海だとされます。「鶴」は、歌のことばとしては「たづ」と称し、鶴は餌を求めて干潟に向かって飛んでいく習性があるので、黒人はその姿を見て年魚市潟の潮が引いたと推測しています。

 271について斉藤茂吉は、「一首の中に地名が二つも入っていて、それに『鶴鳴き渡る』を二度繰り返しているのだから、内容からいえば極く単純なものになってしまった。併し一首全体が高古の響きを保持しているのは、内容がこせこせしない為であり、『桜田へ鶴鳴き渡る』という唯一の現在的内容がかえって鮮明になり、一首の風格も大きくなった」と評しています。また、作家の大嶽洋子は、「黒人は禁欲的なほど、枕詞を使わないことに私は気付く。けれどもそれはその土地にある美しい地名に対して敏感であることの裏返しのような気もしてくる」と述べています。