大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

大伴家持が、別れを悲しむ防人の気持ちを思いやって作った歌・・・巻第20-4331~4333

訓読 >>>

4331
大君(おほきみ)の 遠(とほ)の朝廷(みかど)と しらぬひ 筑紫(つくし)の国は 賊(あた)守る おさへの城(き)ぞと 聞こし食(を)す 四方(よも)の国には 人(ひと)さはに 満ちてはあれど 鶏(とり)が鳴く 東男(あづまをのこ)は 出(い)で向かひ 顧(かへり)みせずて 勇(いさ)みたる 猛(たけ)き軍士(いくさ)と ねぎたまひ 任(ま)けのまにまに たらちねの 母が目 離(か)れて 若草の 妻をもまかず あらたまの 月日 数(よ)みつつ 葦(あし)が散る 難波(なには)の御津(みつ)に 大船(おほぶね)に ま櫂(かい)しじ貫(ぬ)き 朝なぎに 水手(かこ)整へ 夕潮(ゆふしほ)に 楫(かぢ)引き折(を)り 率(あども)ひて 漕(こ)ぎ行く君は 波の間(ま)を い行きさぐくみ ま幸(さき)くも 早く至りて 大君(おほきみ)の 命(みこと)のまにま ますらをの 心を持ちて あり巡(めぐ)り 事し終らば 障(つつ)まはず 帰り来ませと 斎瓮(いはひへ)を 床辺(とこへ)に据(す)ゑて 白栲(しろたへ)の 袖(そで)折り返し ぬばたまの 黒髪敷きて 長き日(け)を 待ちかも恋ひむ 愛(は)しき妻らは

4332
大夫(ますらを)の靫(ゆき)取り負ひて出でて行けば別れを惜(を)しみ嘆きけむ妻

4333
鶏(とり)が鳴く東壮士(あづまをとこ)の妻別れ悲しくありけむ年の緒(を)長み

 

要旨 >>>

〈4331〉大君の、都を遠く離れた朝廷たる筑紫の国は、外敵から身を守る抑えの砦だと、お治めになっている四方の国々には人が数多く満ちてはいるが、とりわけ東の国の男子は、敵に向かって命をもかえりみない勇敢な兵士だとほめ労われ、お差し向けになるまま、母のもとから離れ、なよやかな妻から離れて、任務につく。過ぎて行く月日を数えながら、難波の港から、大船の左右に櫂をびっしり貫き並べ、朝なぎの海に漕ぎ手を集め、夕潮の流れに楫をたおし、声をかけ合って漕いで行く君は、波の間を押し分け、早く無事に筑紫にたどり着き、大君の仰せのままに、男子たる志を持って防備の任につく。その任務が終わったらつつがなく帰ってきて下さいと、清めた甕(かめ)を床の辺に据え、真っ白な着物の袖を折り返し、夜床に黒髪を敷いて寝て、長い日々を待っていることだろう、彼らの愛しい妻たちは。

〈4332〉男子たるにふさわしく、靫(さや)を背負って門出をする時、さぞや別れを惜しんで嘆いたことだろう、その妻は。

〈4333〉東国の若者たちの妻との別れはさぞかし悲しかったことであろう。別れている年月が長いので。

 

鑑賞 >>>

 天平勝宝7年(755年)2月8日、大伴家持が、防人の故郷での別れの悲しみを思いやって作った歌。天平勝宝3年(751年)に少納言となって越中から都に戻った家持は、その後、兵部少輔となり、この任にあたることになったわけですが、帰京した彼が、これほどの熱意をもって歌を作ったのは、これが初めてでした。家持にとって、防人たちとの出会いはたいへんな刺激になったようです。

 4331の「しらぬひ」は「筑紫」の枕詞。「遠の朝廷」は、都から遠く離れた行政庁。ここでは大宰府のこと。「聞こし食す」は、お治めになる。「鶏が鳴く」は「東」の枕詞。「任け」は、任命して派遣すること。「たらちねの」「若草の」は、それぞれ「母」「妻」の枕詞。「あらたまの」は「年」の枕詞を「月」に転じさせたもの。「葦が散る」は「難波」の枕詞。「さぐくみ」は、押し分けて。「大君の命」は、天皇のおことば。「斎瓮」は、清めた御酒を入れる甕。「白栲の」「ぬばたまの」は、それぞれ「袖」「黒髪」の枕詞。

 4332の「靫」は、矢を入れて背に負う武具。4333の「年の緒」は、年が長く続くことを緒に譬えていう語。