大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

防人の歌(17)・・・巻第20-4363~4367

訓読 >>>

4363
難波津(なにはつ)に御船(みふね)下(お)ろすゑ八十楫(やそか)貫(ぬ)き今は漕(こ)ぎぬと妹(いも)に告げこそ
4364
防人に立たむ騒(さわ)きに家の妹(いむ)が業(な)るべきことを言はず来(き)ぬかも
4365
押し照るや難波(なには)の津ゆり船装(ふなよそ)ひ我(あ)れは漕(こ)ぎぬと妹(いも)に告(つ)ぎこそ
4366
常陸(ひたち)指し行かむ雁(かり)もが我(わ)が恋を記(しる)して付けて妹(いも)に知らせむ
4367
我(あ)が面(もて)の忘れも時(しだ)は筑波嶺(つくはね)を振り放(さ)け見つつ妹(いも)は偲(しぬ)はね

 

要旨 >>>

〈4363〉難波の港に御船を引き下ろして浮かべ、たくさんの梶を並べて、さあこれから漕ぎ出そうとしていると、故郷の妻に伝えてくれないか。

〈4364〉防人として出発していくあわただしさに紛れ、家の妻に暮らしを立てる手だてを告げずに出て来てしまった。

〈4365〉照り輝く難波の港から、船出の準備をして、これから漕ぎ出そうとしていると、故郷の彼女に伝えておくれ。

〈4366〉常陸を指して飛んでいく雁でもいたらよい。わが恋の苦しみを記して雁に託して、故郷の妻に伝言してもらうのに。

〈4367〉私の顔を忘れそうになった時は、筑波の峰を振り仰いでは、お前さんは私のことを偲んでくれ。

 

鑑賞 >>>

 常陸国の防人の歌。4363の「御船」は、官船への美称。「八十楫」は、多くの楫。「告げこそ」の「こそ」は、願望。4364の「妹(いむ)」は「いも」の方言。「業る」は、生活のために働く。4365の「押し照るや」は「難波」の枕詞。「ゆり」は、動作の起点を表す格助詞。「告ぎこそ」の「こそ」は、願望。4366の「もが」は、願望。4367の「面(もて)」は「おもて」の方言。「忘れも」は「忘れむ」の方言。「時(しだ)」は「時」の古語。「偲はね」の「ね」は、願望の助詞。

 4363の歌は、とくに家持の手が加わっている気配が濃厚であるとする見方があります。「御船下ろすゑ」は、あたかも貴族が船出するかのような美しい表現であり、「八十楫貫き」などという言葉を防人が使わなかっただろうし、数が多いことを示す「八十」や「八」は家持が好んで使った語だから、というのがその理由です。それにしても防人の多くの兵士たちが和歌を詠み得たことには驚きますが、これは、もともと求婚の時とか宴席などで、和歌を詠み歌うことが必須とされていたという当時の生活上の必要から来ているともいわれます。