大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

いづくにか船泊てすらむ・・・巻第1-58

訓読 >>>

いづくにか船(ふね)泊(はて)すらむ安礼(あれ)の埼(さき)漕(こ)ぎたみ行きし棚(たな)無し小舟(をぶね)

 

要旨 >>>

今ごろいったい何処で舟どまりしているのだろう、安礼の崎を先ほど漕ぎめぐっていった、船棚のない小さな舟は。

 

鑑賞 >>>

 高市黒人(たけちのくろひと)の歌。大宝2年(702年)10月、持統太上天皇三河国(今の愛知県東部)行幸に従駕しての作。「太上天皇」は、退位した天皇のこと。「船泊て」は、船どまりする意の熟語。「安礼の崎」は、今の愛知県宝飯郡御馬の南にある岬ではないかとされます。「こぎ回み」は、船を漕いで海岸線に沿って巡る意。この時代の舟行きは、風の危険を防ぐため、岸に近接して漕ぐのがふつうでした。「棚無し小舟」は、船棚(ふなだな)のない小さな舟で、原始的な丸木舟に近い形の舟。この「棚無し小舟」の語で舟を歌ったのは黒人が最初で、『万葉集』では3回出ているうち2回は黒人が歌っているので、彼の造語かもしれません。

 高市黒人柿本人麻呂とほぼ同時代の下級官人。大和国6県の一つである高市県の統率者の家筋で、その氏人の一人だと見られています。『万葉集』に収められている18首の歌はすべて大和以外の旅先のもので、とくに舟を素材とし、漠とした旅愁を漂わせる作品に特色があります。この歌も、決して強い調べではないものの、しっとりとした情感を漂わせています。

 なお、この時の行幸は10月10日に出立、11月13日に尾張国到着、11月25日に帰朝とあり、実に46日間にわたる長旅でした。その約1ヵ月後の12月22日に持統女帝はこの世を去っていますから、生涯最後の大旅行だったことになります。旅好きだった女帝自身に旅を詠んだ歌はありませんが、さまざまな旅の場を提供してきたことから、人麻呂や黒人などによる数多くの名歌を生んだことになります。