大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

この洲崎廻に鶴鳴くべしや・・・巻第1-71

訓読 >>>

大和(やまと)恋ひ寐(い)の寝(ね)らえぬに心なくこの洲崎廻(すさきみ)に鶴(たづ)鳴くべしや

 

要旨 >>>

大和が恋しくて寝るに寝られないのに、思いやりもなく、この洲崎あたりで鶴が鳴いてよいものだろうか。

 

鑑賞 >>>

 忍坂部乙麻呂(おさかべのおとまろ:伝未詳)の歌。題詞に、大行天皇(さきのすめらみこと)が難波宮行幸されたときの歌とあります。「大行天皇」とは、本来天皇崩御後、御謚号を奉らない間の称であったのが、この頃には、先帝の意味で用いるようになっており、『万葉集』の例ではすべて文武天皇を指しています。行幸の時期は明らかでありません。

 「寐の寝らえぬに」は、寝ても眠れないのに。「洲崎」は、海上に長く突き出た渚の崎。「廻」は、~の辺り。「鳴くべしや」の「や」は、反語。鳴いてよいものか、鳴くべきではない。

 

万葉集』の三大部立て

雑歌(ぞうか)
 公的な歌。宮廷の儀式や行幸、宴会などの公の場で詠まれた歌。相聞歌、挽歌以外の歌の総称でもある。

相聞歌(そうもんか)
 男女の恋愛を中心とした私的な歌で、万葉集の歌の中でもっとも多い。男女間以外に、友人、肉親、兄弟姉妹、親族間の歌もある。

挽歌(ばんか)
 死を悼む歌や死者を追慕する歌など、人の死にかかわる歌。挽歌はもともと中国の葬送時に、棺を挽く者が者が謡った歌のこと。

 『万葉集』に収められている約4500首の歌の内訳は、雑歌が2532首、相聞歌が1750首、挽歌が218首となっています。