訓読 >>>
1825
紫草(むらさき)の根延(ねは)ふ横野(よこの)の春野(はるの)には君を懸けつつうぐひす鳴くも
1826
春されば妻を求むとうぐひすの木末(こぬれ)を伝ひ鳴きつつもとな
1827
春日(かすが)なる羽(は)がひの山ゆ佐保(さほ)の内へ鳴き行くなるは誰(た)れ呼子鳥(よぶこどり)
1828
答へぬにな呼び響(と)めそ呼子鳥(よぶこどり)佐保(さほ)の山辺(やまへ)を上り下りに
要旨 >>>
〈1825〉紫草の根を張っている横野の、この春の野に、あの方を恋しがりつつウグイスが鳴いている。
〈1826〉春になったので、妻を求めてウグイスが梢から梢へと伝って由なくもしきりに鳴き続けている。
〈1827〉春日の羽がいの山から佐保に向かい、鳴きながら飛んでいくのは、誰を呼ぶ呼子鳥なのだろう。
〈1828〉誰も答えないのに、響くほどに鳴くな呼子鳥、佐保の山の辺りを上り下りするにつけて。
鑑賞 >>>
「鳥を詠む」歌。1825の「紫草」は、ムラサキ科の多年草で、根から紫色の染料をとりました。「横野」は、大阪市生野区巽西。延喜式に記載された横野神社があります。「懸けつつ」は、心に懸けつつ。1826の「春されば」は、春になったので。「木末」は、木の枝や葉の先端。「もとな」は、わけもなく、由なく。
1827の「春日」は、奈良市東部の山地。「羽がひの山」の所在は不明ながら、人麻呂が、死んだ妻がいると聞いて捜しに行った山です(巻第2-210)。「山ゆ」の「ゆ」は、起点・経由点を示す格助詞。~から、~を通って。「佐保の内」は、奈良市北部の佐保山と佐保川の間の一帯。「呼子鳥」は、片恋をするとされた鳥で、カッコウともヒヨドリともいわれます。1828は上の歌との連作とみられ、佐保の山辺に住む恋しい人の許に往復するものの、甲斐がないので、自身を呼子鳥に見立てている歌です。「な呼び響めそ」の「な~そ」は、懇願的な禁止。「響む」は、鳴り響かせる。
「呼子鳥」は、そもそも鳴き声を「あこう、あこう」と聞き、「吾子(あこ)、吾子」と自分の子を呼んでいるというところからの名とされ、紀州には次のような民間説話があります。―― 継母(ままはは)が継子(ままこ)を谷に突き落として殺してしまった。それを知った父親は、山に我が子を捜しに行き、吾子、吾子と呼び続けて死んで、くゎっこうになったという。――
枕詞あれこれ
神風(かむかぜ)の
「伊勢」に掛かる枕詞。日本神話においては、伊勢は古来暴風が多く、天照大神の鎮座する地であるところからその風を神風と称して神風の吹く地の意からとする説や、「神風の息吹」のイと同音であるからとする説などがある。
草枕
「旅」に掛かる枕詞。旅にあっては、草を結んで枕とし、夜露にぬれて仮寝をしたことから。
韓衣(からごろも)
「着る」「袖」「裾」など、衣服に関する語に掛かる枕詞。「韓衣」は、中国風の衣服で、広袖で裾が長く、上前と下前を深く合わせて着る。「唐衣」とも書く。
高麗錦(こまにしき)
「紐」に掛かる枕詞。「高麗錦」は、高麗から伝わった錦または高麗風の錦で、高麗錦で紐や袋を作ったところから。
隠(こも)りくの
大和国の地名「泊瀬(初瀬)」に掛かる枕詞。泊瀬の地は、四方から山が迫っていて隠れているように見える場所であることから。
さねかづら
「後も逢ふ」に掛かる枕詞。「さねかづら」は、つる性の植物で、つるが分かれてはい回り、末にはまた会うということから。
敷島の/磯城島の
「大和」に掛かる枕詞。「敷島」は、崇神天皇・欽明天皇が都を置いた、大和国磯城 (しき) 郡の地名で、磯城島の宮のある大和の意から。
敷妙(しきたへ)の
「枕」に掛かる枕詞。「敷妙」は、寝床に敷く布団の一種。寝具であるところから、他に「床」「衣」「袖」「袂」「黒髪」などにも掛かる。
白妙(しろたへ)の
白妙で衣服を作るところから、「衣」「袖」「紐」など衣服に関する語に掛かる枕詞。また、白妙は白いことから「月」「雲」「雪」「波」など、白いものを表す語にも掛かる。
高砂の
「松」「尾上(をのへ)」に掛かる枕詞。高砂(兵庫県)の地が尾上神社の松で有名なところから。同音の「待つ」にも掛かる。
玉櫛笥(たまくしげ)
玉櫛笥の「玉」は接頭語で、「櫛笥」は櫛などの化粧道具を入れる箱。櫛笥を開けるところから「あく」に、櫛笥には蓋があるところから「二(ふた)」「二上山」に、身があるところから「三諸(みもろ)」などに掛かる枕詞。
玉梓(たまづさ)の
「使ひ」に掛かる枕詞。古く便りを伝える使者は、梓(あずさ)の枝を持ち、これに手紙を結びつけて運んでいたことから。また、妹のもとへやる意味から「妹」にも掛かる。
玉鉾(たまほこ)の
「道」「里」に掛かる枕詞。「玉桙」は立派な桙の意ながら、掛かる理由は未詳。
たらちねの
「母」に掛かる枕詞。語義、掛かる理由未詳。
ちはやぶる
「ちはやぶる」は荒々しい、たけだけしい意。荒々しい「氏」ということから、地名の「宇治」に、また荒々しい神ということから「神」および「神」を含む語や神の名に掛かる枕詞。
夏麻(なつそ)引く
「夏麻」は、夏に畑から引き抜く麻で、夏麻は「績(う)む」ものであるところから、同音で「海上(うなかみ)」「宇奈比(うなひ)」などの「う」に掛かる枕詞。また、夏麻から糸をつむぐので、同音の「命(いのち)」の「い」に掛かる。
久方(ひさかた)の
天空に関係のある「天(あま・あめ)」「雨」「空」「月」「日」「昼」「雲」「光」などにかかる枕詞。語義、掛かる理由は未詳。
もののふの
もののふ(文武の官)の氏(うぢ)の数が多いところから「八十(やそ)」「五十(い)」にかかり、それと同音を含む「矢」「岩(石)瀬」などにかかる。また、「氏(うぢ)」「宇治(うぢ)」にもかかる。
百敷(ももしき)の
「大宮」に掛かる枕詞。「ももしき」は「ももいしき(百石木」が変化した語で、多くの石や木で造ってあるの意から。
八雲(やくも)立つ
地名の「出雲」にかかる枕詞。多くの雲が立ちのぼる意。
若草の
若草がみずみずしいところから、「妻」「夫(つま)」「妹(いも)」「新(にひ)」などに掛かる枕詞。