大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

鳴き行くなるは誰れ呼子鳥・・・巻第10-1827~1828

訓読 >>>

1827
春日(かすが)なる羽(は)がひの山ゆ佐保(さほ)の内へ鳴き行くなるは誰(た)れ呼子鳥(よぶこどり)
1828
答へぬにな呼び響(と)めそ呼子鳥(よぶこどり)佐保(さほ)の山辺(やまへ)を上り下りに

 

要旨 >>>

〈1827〉春日の羽がいの山から佐保に向かい、鳴きながら飛んでいくのは、誰を呼ぶ呼子鳥なのだろう。

〈1828〉誰も答えないのに、響くほどに鳴くな呼子鳥、佐保の山の辺りを上り下りするにつけて。

 

鑑賞 >>>

 「鳥を詠む」歌。1827の「春日」は、奈良市東部の山地。「羽がひの山」の所在は不明。「山ゆ」の「ゆ」は、~から、~を通って。「佐保の内」は、奈良市北部の佐保山と佐保川の間の一帯。「呼子鳥」は、片恋をするとされた鳥で、カッコウともヒヨドリともいわれます。1828は上の歌との連作とみられ、佐保の山辺に住む恋しい人の許に往復するものの、甲斐がないので、自身を呼子鳥に見立てている歌です。「な呼び響めそ」の「な~そ」は、禁止。「響む」は、鳴り響かせる。

 「呼子鳥」は、そもそも鳴き声を「あこう、あこう」と聞き、「吾子(あこ)、吾子」と自分の子を呼んでいるというところからの名とされ、紀州には次のような民間説話があります。―― 継母(ままはは)が継子(ままこ)を谷に突き落として殺してしまった。それを知った父親は、山に捜しに行き、吾子、吾子と呼び続けて死んで、くゎっこうになったという。――