大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

波の上ゆ見ゆる小島の雲隠り・・・巻第8-1453~1455

訓読 >>>

1453
玉たすき 懸(か)けぬ時なく 息の緒(を)に 我(あ)が思ふ君は うつせみの 世の人なれば 大君(おほきみ)の 命(みこよ)畏(かしこ)み 夕(ゆふ)されば 鶴(たづ)が妻呼ぶ 難波潟(なにはがた) 御津(みつ)の崎より 大船(おほぶね)に 真楫(まかぢ)しじ貫(ぬ)き 白波(しらなみ)の 高き荒海(あるみ)を 島伝ひ い別れ行かば 留(とど)まれる 我れは幣(ぬさ)引き 斎(いは)ひつつ 君をば待たむ 早(はや)帰りませ

1454
波の上ゆ見ゆる小島の雲隠(くもがく)りあな息づかし相(あひ)別れなば

1455
たまきはる命(いのち)に向ひ恋ひむゆは君が御船(みふね)の楫柄(かぢから)にもが

 

要旨 >>>

〈1453〉玉たすきを懸けるように心にかけ、命がけで私が思うあなたは、この世に生きる人なので、大君のご命令を畏んで、夕方に鶴が妻を呼んで鳴く難波潟の御津の崎から、大船に梶がいっぱい取りつけて、高く白波の立つ荒海を島伝いに出て行かれる。お別れして後に留まる私は、幣を引いて神へ手向け、ご無事を祈りながらあなたを待ち続けます。どうか早くお帰り下さい。

〈1454〉波の上に見えていた小島が雲に隠れるように、あなたの船が見えなくなって、切なく溜息が出ることでしょう、お別れしてしまったら。

〈1455〉いのちがけの思いで思い続けるよりはいっそあなた様の乗る船の楫の柄になりたい。

 

鑑賞 >>>

 天平5年(733年)春、笠金村(かさのかなむら)が、入唐使の丹比真人広成(たじひのまひとひろなり)に贈った歌。1453の「玉だすき」は「懸く」の枕詞。「息の緒に」は、命がけで。「うつせみの」は「世」の枕詞。「夕されば」は、夕方になると。「難波潟」は、大阪付近の海。「御津の崎」は、上町台地付近の港。「真楫しじ貫き」は、左右にたくさんの楫を取り付けて。「幣」は、神に祈る時に捧げるもの。「斎ひつつ」は、心身を清め謹んで。

 1454の「小島」は、普通名詞ではなく備前の「児島」とする向きもあります。上2句は「息づかし」を導く序詞。「息づかし」は、ため息をつかせるようにあること。1455の「たまきはる」は「命」の枕詞。「命に向かひ」は、命がけで。「もが」は、願望。

 隋が滅びて唐になってから、中国への朝貢施設は「遣唐使」と名を変え、舒明天皇の2年(630年)の第1回以来、天平5年には第10回目の遣唐使が派遣されました。用いられた船は竜骨のない脆弱な箱船で、4隻の船が難波津から瀬戸内海を通り、博多の津を経由して玄海灘へ向かいました。この時の使節は、往路は無事に唐に渡ることができたものの、翌々年の復命時に無事に戻ってこられたのは2隻のみでした。