大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

我が背子がい立たせりけむ・・・巻第1-9

訓読 >>>

莫囂円隣之大相七兄爪謁気 我が背子がい立たせりけむ厳橿(いつかし)が本(もと)

 

要旨 >>>

・・・・・・愛するあなたが立っていた、山麓の神聖な樫の木のもと。

 

鑑賞 >>>

 額田王(ぬかだのおおきみ)の「紀の温泉に幸せる時に、額田王の作る」歌。ただし、原文の「莫囂圓隣之大相七兄爪謁氣」の部分は『万葉集』の中でもっとも難読とされ、未だに定訓がありません。従って意味も不明です。

 

読めない『万葉集

 万葉仮名で書かれた『万葉集』の歌の解読は、天暦5年(951年)に村上天皇の詔により、清原元輔、紀時文、大中臣能宣坂上望城、源順ら5人(後撰集の撰者)によって始められました。それ以後、研究史は1000年を優に超えていますが、未だに解読できない歌が19首あります。

 その代表歌が、巻第1-9に「紀の温泉に幸せる時に、額田王の作る歌」とある「莫囂円隣之大相七兄爪謁気 我が背子がい立たせりけむ厳橿(いつかし)が本(もと)」で、下三句は解読されていますが、上二句が訓義未詳となっています。これまで30通り以上の試訓がなされているようですが、どれも決め手を欠き、おそらく永遠に読めないであろうと考えられています。