大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

あぢさはふ目は飽かざらね・・・巻第12-2934

訓読 >>>

あぢさはふ目は飽(あ)かざらね携(たづさは)り言(こと)とはなくも苦しくありけり

 

要旨 >>>

近くでいつもお見かけしていながら、手を取り合ってお話できないのは苦しいことです。

 

鑑賞 >>>

 「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。女の歌で、いつも近くで見慣れていて憎からず思っている男が、自分に対してまったく懸想の気配を見せないのを、心寂しく思っています。「あぢさはふ」は語義未詳ながら「目」にかかる枕詞。「目は飽かあらね」は、見る目には飽いているが、の意。

 

作者未詳歌について

 『万葉集』に収められている歌の半数弱は作者未詳歌で、未詳と明記してあるもの、未詳とも書かれず歌のみ載っているものが2100首余りに及び、とくに多いのが巻7・巻10~14です。なぜこれほど多数の作者未詳歌が必要だったかについて、奈良時代の人々が歌を作るときの参考にする資料としたとする説があります。そのため類歌が多いのだといいます。

 7世紀半ばに宮廷社会に誕生した和歌は、7世紀末に藤原京、8世紀初頭の平城京と、大規模な都が造営され、さらに国家機構が整備されるのに伴って、中・下級官人たちの間に広まっていきました。「作者未詳歌」といわれている作者名を欠く歌は、その大半がそうした階層の人たちの歌とみることができ、東歌と防人歌を除いて方言の歌がほとんどないことから、機内圏のものであることがわかります。