大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

逢坂をうち出でて見れば・・・巻第13-3236~3238

訓読 >>>

3236
そらみつ 大和の国 あをによし 奈良山(ならやま)越えて 山背(やましろ)の 管木(つつき)の原 ちはやぶる 宇治の渡り 岡屋(をかのや)の 阿後尼(あごね)の原を 千歳(ちとせ)に 欠くることなく 万代(よろずよ)に あり通(がよ)はむと 山科(やましな)の 石田(いはた)の社(もり)の 皇神(すめかみ)に 幣(ぬさ)取り向けて 我(わ)れは越え行く 逢坂山(あふさかやま)を

3237(或本歌曰)
あをによし 奈良山過ぎて もののふの 宇治川(うぢがは)渡り 娘子(をとめ)らに 逢坂山(あふさかやま)に 手向(たむ)けくさ 幣(ぬさ)取り置きて 我妹子(わぎもこ)に 近江(あふみ)の海の 沖つ波 来(き)寄る浜辺(はまへ)を くれくれと ひとりそ我(あ)が来る 妹(いも)が目を欲(ほ)り

3238
逢坂をうち出(い)でて見れば近江(あふみ)の海(み)白木綿花(しらゆふばな)に波立ちわたる

 

要旨 >>>

〈3236〉大和の国の奈良山を越えて、山背の筒木の原、宇治川の渡し場、 岡屋の阿後尼の原と続く道を、千年の後まで一度として欠けることなく、万代までも通い続たいと、山科の石田の杜の神に幣を手向けして、私は越えて行く、逢坂山を。

〈3237〉奈良山を通り過ぎて宇治川を渡り、娘子に逢うという逢坂山に手向けする幣を供えて旅の無事を祈り、妻に逢うという近江の海の、沖の波が寄せてくる浜辺を、心暗く独りでとぼとぼと行く、妻に逢いたいと思いながら。

〈3238〉逢坂山を越えて見下ろすと、近江の海に、真っ白な木綿の花が咲くように波が立ち続いている。

 

鑑賞 >>>

 大和に住む男が、近江国に持っている妻の許に通う時の歌とされ、道中の緒要所をほめて旅の安全を祈っています。3236の「そらみつ」「あをによし」は、それぞれ「大和」「奈良」の枕詞。「奈良山」は、奈良市北部の京都府との境の山。「管木の原」は、京都府田辺町東南一帯の、大和国から近江国へ通ずる街道にあった原。「ちはやぶる」は「宇治」の枕詞。「岡屋」は所在未詳。「阿後尼の原」は、宇治市宇治川東岸の地。「あり通はむ」は通い続けよう。「山科」は、京都市山科区。「石田」は、京都市伏見区石田町。「皇神」は、その土地を支配する神。「逢坂山」は、大津市京都市の境の山。

 3237の「あをによし」「ものふの」「娘子らに」は、それぞれ「奈良」「宇治」「逢坂山」の枕詞。「手向けくさ」は、お供えする品。「我妹子に」は「近江」の枕詞。「近江の海」は、琵琶湖。「くれくれと」は、とぼとぼと。

 3238の「木綿花」は、木綿で作った造花。源実朝の「箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄る見ゆ」は、この歌を参考にしているとされます。

 

巻第13について

 作者および作歌年代の不明な長歌反歌を集めたもので、部立は雑歌・相聞・問答歌・譬喩歌(ひゆか)・挽歌の五つからなっています。