訓読 >>>
4488
み雪降る冬は今日(けふ)のみ鴬(うぐひす)の鳴かむ春へは明日(あす)にしあるらし
4489
うち靡(なび)く春を近みかぬばたまの今夜(こよひ)の月夜(つくよ)霞(かす)みたるらむ
4490
あらたまの年行き返(がへ)り春立たばまづ我(わ)が宿(やど)に鴬(うぐひす)は鳴け
4491
大き海の水底(みなそこ)深く思ひつつ裳引(もび)き平(なら)しし菅原(すがはら)の里
要旨 >>>
〈4488〉雪の降る冬は今日が限り。ウグイスが鳴く春は、もう明日に迫っている。
〈4489〉春が近いからか、今夜の月には霞がかっているようだ。
〈4490〉年が改まって春がやってきたら、まっ先に、我が家の庭に来てウグイスよ鳴け。
〈4491〉大海の海底のように深くあなたを思いながら、裳を長く引いて楽しく歩いて住んだ、あの菅原の里よ。
鑑賞 >>>
天平宝字2年(757年)12月18日、大監物(だいけんもつ)三形王(みかたのおおきみ)の家で宴会をしたときの歌。「大監物」は、官物出納を司る中務省監物の長官、従五位下相当。三形王は系譜未詳、舎人親王の孫か。
4488は、主人の三形王の歌。4489は、大蔵大輔(おおくらのだいふ)甘南備伊香真人(かむなびのいかごまひと)の歌。「大蔵大輔」は、大蔵省の次官、正五位下相当。甘南備伊香真人は、はじめ伊香王で臣籍降下した人。「うち靡く」は「春」の枕詞。「ぬばたまの」は「夜」の枕詞。「月夜」は月。4490は、右中弁(うちゅうべん)大伴家持の歌。「右中弁」は、太政官所属の右弁官局の次官、正五位上相当。「あらたまの」は「年」の枕詞。
4491は、左注に「藤原宿奈麻呂朝臣(ふじわらのすくなまろあそみ)の妻、石川女郎(いしかわのいらつめ)が夫の愛が薄れ離別させられ、悲しみ恨んで作った。年月は未詳」の旨の記載があり、家持が披露した歌のようです。藤原宿奈麻呂は藤原宇合の子、石川女郎は未詳(他に出ている石川女郎または石川郎女とは別人)。「裳引き平す」は、裳の裾を後ろへ長く引いて地面が平らになるほど頻繁に往き来する意。「菅原の里」は、奈良市菅原町の一帯。
石川郎女について
『万葉集』には石川郎女(いしかわのいらつめ)の名の女性が6人登場します(大友安麻呂の妻・内命婦石川郎女を除く)。
① 久米禅師に求愛され、歌を贈答した女性。~巻第2‐97・98
② 大津皇子の贈歌に対して答えた女性。~巻第2-108
③ 草壁皇子が歌を贈り、字を大名児(おおなこ)という女性。~巻第2-110
④ 大伴田主に求婚し拒絶された女性。~巻2-126・128
⑤ 大津皇子の侍女で、大伴宿奈麻呂に歌を贈った女性。~巻第2-129
⑥ 藤原宿奈麻呂朝臣の妻で、離別された女性。~巻第20-4491
いずれも生没年未詳ですが、②③④の石川郎女が同一人とみられているようです。また、これらの石川郎女と坂上郎女の母である内命婦石川郎女とがどのような関係になるのかも分かっていません。