訓読 >>>
1234
潮(しほ)早み磯廻(いそみ)に居(を)れば潜(かづ)きする海人(あま)とや見らむ旅行く我(わ)れを
1235
波高しいかに楫(かぢ)取り水鳥(みづどり)の浮き寝やすべきなほや漕(こ)ぐべき
1236
夢(いめ)のみに継ぎてし見ゆる小竹島(しのしま)の磯(いそ)越す波のしくしく思ほゆ
要旨 >>>
〈1234〉潮が速いので、磯辺にいると、人々は水に潜る海人と見るだろうか、この旅行く私を。
〈1235〉波が高いな、おいどうだい船頭さん、しばらく水鳥のように波に身を任せて浮き寝をしようか、それとももっと漕ぎ続けようか。
〈1236〉夢ばかりに続いて現れてくるあの人、小竹島の磯を越えてくる白い波が、しきりに思われます。
鑑賞 >>>
「覊旅(旅情を詠む)」歌。 1234の「潮早み」は、潮が速いので。「磯廻」は、入江。「潜きする」は、水中に潜って魚介などをとること。カヅキの原文「入潮」は「潮ニ入ル」意の漢文的表記となっており、「潮」は海水、潮流の意味なので、「入潮」は海中に潜り入ることを意味します。「海人とや見らむ」の「や」は、疑問の助詞。
1235の「いかに」は、舵取り(船頭)にいかにせんと問いかけた言葉。「水鳥の」は「浮き寝」に掛かる比喩的枕詞。「浮き寝」は、水上に浮かんで寝ること。「や」は、疑問の助詞。「なほ」は、さらに、もっと。航路にあっても夜は上陸して寝るものでしたが、日が暮れて波高く、危険で岸に近づけなかったと見えます。こうした差し迫った状況下で、事の相談を歌でする例は多くあります。
1236の「夢のみに」は、夢ばかりに。「継ぎて見えつつ」の「つつ」は、反復の助詞。「小竹島」は所在不明で、愛知県の知多半島先端にある篠島とする説がありますが、続きの歌の配列から、近江の湖辺ではないかとされます。「磯越す波」は、岸の石を越えて寄せる波。「しくしく」は、しきりに。重なる意の動詞「しく」を二つ重ねてできた副詞。「思ほゆ」は、思われる。
覊旅歌
「覊旅歌」とは、旅中に触発された種々の感情を主題とする歌のこと。この語は『周礼』や『楚辞』などの漢籍にも見えますが、中国では詩の分類用語としてはおもに「行旅」の語を用いています。日本で「羈旅歌」の名称が最初に登場するのは『万葉集』で、旅先の自然の景観や家郷、家人への思いを述べた歌を主とし、有名な作品としては、巻第3の柿本人麻呂、高市黒人の羈旅歌8首などがあります。また巻第7、巻第12では部類名としても見えますが、雑歌や相聞などの主要な部立の下位分類名として用いられているにすぎず、いまだ独立の部立と意識されていなかったことが窺えます。『古今集』以降の勅撰集になると、多く羈旅、羈旅歌の部立が一巻を占めるようになりますが、その作風には、現実の旅の経験というより、歌枕のイメージに依存した観念的な詠みぶりも目立つようになります。