訓読 >>>
2051
天の原行きて射(い)てむと白真弓(しらまゆみ)引きて隠れる月人壮士(つきひとをとこ)
2052
この夕(ゆふへ)降りくる雨は彦星(ひこほし)の早や漕ぐ舟の櫂(かい)の散りかも
2053
天の川 八十瀬(やそせ)霧(き)らへり彦星(ひこぼし)の時(とき)待つ舟は今し漕ぐらし
2054
風吹きて川波(かはなみ)立ちぬ引き船に渡りも来ませ夜(よ)の更(ふ)けぬ間(ま)に
要旨 >>>
〈2051〉天の原に出かけて獲物を射止めようと、白真弓で矢をつがえたまま隠れている、月人壮士よ。
〈2052〉この夕べに降る雨は、彦星が急いで漕いでいる舟の、櫂のしずくが散っているのだろうか。
〈2053〉天の川の多くの瀬に霧が立ちこめている。時を待っていた彦星は、今舟を出して漕ぎ出したに違いない。
〈2054〉風が吹いて川波が立ってきました。引き綱を引いてでも早くこちら岸に渡ってきて下さい。夜が更けないうちに。
鑑賞 >>>
七夕の歌。2051の「白真弓」は、白木の弓。「月人壮士」は、月を擬人化したもの。折から上弦の月が低く現れ、薄雲に覆われたのを、月人壮士の白真弓に見立てて、空に向かって射ようとしていると見ています。2053の「八十瀬」は、多くの瀬。「霧らへり」は、霧が立ち込めている。「今し」の「し」は、強意。「らし」は、現在推量。2054の「引き船」は、船に綱をつけて陸から引き寄せる船のこと。「来ませ」は「来よ」の敬語。織女の気持ちになって詠んでいます。
七夕の歌
中国に生まれた「七夕伝説」が、いつごろ日本に伝来したかは不明ですが、上代の人々の心を強くとらえたらしく、『万葉集』に「七夕」と題する歌が133首収められています。それらを挙げると次のようになります。
巻第8
山上憶良 12首(1518~1529)
湯原王 2首(1544~1545)
市原王 1首(1546)
巻第9
間人宿祢 1首(1686)
藤原房前 2首(1764~1756)
巻第10
人麻呂歌集 38首(1996~2033)
作者未詳 60首(2034~2093)
巻第15
柿本人麻呂 1首(3611)
遣新羅使人 3首(3656~3658)
巻第17
大伴家持 1首(3900)
巻第18
大伴家持 3首(4125~4127)
巻第19
大伴家持 1首(4163)
巻第20
大伴家持 8首(4306~4313)
このうち巻第10に収められる「七夕歌」について、『日本古典文学大系』の「各巻の解説」に、次のように書かれています。
―― 歌の制作年代は、明日香・藤原の時代から奈良時代に及ぶものと見られ、風流を楽しむ傾向の歌、繊細な感じの歌、類想、同型の表現、中国文化の影響などが相当量見出される点からして、当代知識階級の一番水準の作が主となっていると思われる。同巻のうちにも、他の巻にも、類想・類歌のしばしば見られるのはその為であろう。――
また、巻第10所収の『柿本人麻呂歌集』による「七夕歌」には、牽牛と織女のほかに、二人の間を取り持つ使者「月人壮士」が登場しており、中国伝来のものとは違う、新たな「七夕」の物語をつくりあげようとしたことが窺えます。