訓読 >>>
2060
ただ今夜(こよひ)逢ひたる子らに言(こと)どひもいまだせずしてさ夜(よ)ぞ明けにける
2061
天(あま)の川(がは)白波(しらなみ)高し我(あ)が恋ふる君が舟出(ふなで)は今しすらしも
2062
機物(はたもの)の蹋木(ふみき)持ち行きて天(あま)の川(がは)打橋(うちはし)渡す君が来(こ)むため
2063
天(あま)の川(がは)霧(きり)立ち上(のぼ)る織女(たなばた)の雲の衣(ころも)のかへる袖(そで)かも
要旨 >>>
〈2060〉まさに今夜逢った愛しい妻に、まだ十分言葉を交わさないうちに、夜が明けてしまった。
〈2061〉天の川に白波が高い。私が恋い慕うあの方が、ちょうど舟出をするのだろう。
〈2062〉機織り機の踏み木を持って行って、天の川に打橋を渡そう。あの人が渡ってこられるように。
〈2063〉天の川に霧がかかっている。あれは、織姫が着ている雲の着物のひるがえっている袖なのだろうか。
鑑賞 >>>
七夕の歌。2060の「ただ今夜」の「ただ」は、まさに。「子ら」の「ら」は接尾語。「言どひ」は、言葉を交わすこと。「さ夜」の「さ」は、接頭語。「ける」は「ぞ」の結。2061の「今し」の「し」は、強意。「すらしも」の「らし」は、現在推量。2062の「蹋木」は、機織り機の、縦糸を上下に動かすために足で踏み動かす板。「打橋」は、板を渡して自由に掛け外しできる簡単な橋。多くの場合、通ってくる夫を迎える時に、女が渡しました。蹋木はごく短いものなので、それで打橋を渡せるわけもないのに、「それがかえってこの歌に可憐な感じを与えている」と、詩人の大岡信は言っています。2063の「雲の衣」は、七夕を歌った漢詩によく見られる「雲衣」から発想を得ています。