大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

この月のここに来たれば今とかも・・・巻第7-1078~1081

訓読 >>>

1078
この月のここに来たれば今とかも妹(いも)が出(い)で立ち待ちつつあるらむ

1079
まそ鏡(かがみ)照るべき月を白栲(しろたへ)の雲か隠せる天(あま)つ霧(きり)かも

1080
ひさかたの天(あま)照る月は神代(かみよ)にか出(い)で反(かへ)るらむ年は経(へ)につつ

1081
ぬばたまの夜(よ)渡る月をおもしろみ我(わ)が居(を)る袖(そで)に露(つゆ)ぞ置きにける

 

要旨 >>>

〈1078〉今、月がここまで出てきているから、妻は外に出て、今か今かと私が来るのを待っているだろう。

〈1079〉鏡のように美しい月が、もう照ってもよさそうなのに、白い雲が隠しているのか、それとも天に立つ霧が隠しているのか。

〈1080〉空に照る月は、神代の昔に帰ってはまた出直してくることを繰り返しているのだろうか。年は経っていくばかりなのに。

〈1081〉夜空を渡っていく月が趣き深いので、寝ずに楽しんでいるうちに、私の袖は露に濡れてしまった。

 

鑑賞 >>>

 「月を詠む」歌。1078の「この月の」は、今照っている月が。「ここに来たれば」の原文「此間来者」で、「このまに来れば」と訓むものもあります。「今とかも」の「と」は、と思って。「かも」は疑問の係助詞。今来るか今来るかと待つ気持ちを表わす用字。「あるらむ」の「らむ」は、現在推量の助動詞。「かも」の係り結びで、連体形。

 1079の「まそ鏡」は白銅製の鏡で、よく澄んだ鏡が光を反射して照り輝くところから、譬喩による「照る月」の修飾。「照るべき月を」の「を」は、ものを、であるのに。「白栲の」の「白栲」は、楮(こうぞ)などの樹皮の繊維で織った白い布。それで作った衣類の意で、衣・袖・紐などに掛かる枕詞ですが、ここは譬喩による修飾。「雲か」の「か」は、疑問。「天つ霧」は、天の霧。

 1080の「ひさかたの」は、語義も掛かり方も未詳ながら「天」の枕詞。「出で反る」は、出ることを繰り返す。「らむ」は、現在推量の助詞。疑問の「か」の係り結びで、連体形。「つつ」は、詠嘆または逆接。

 1081の「ぬばたまの」は「夜」の枕詞。「おもしろみ」は「おもしろし」のミ語法で、「み」は、形容詞の語幹に付いて理由や原因を表す接尾語。(月が)趣き深いので。「ける」は「ぞ」の係り結び。夫の来訪を待ちわびて月夜の戸外に立っている歌の類想は多いものの、窪田空穂は、「この歌は完全に自然観賞のもので、その意味で新味のあるものとなっている。詠み方が素朴で、大柄でもあるので、四、五句は相応の味わいのあるものとなっている」と評しています。

 

 

 

係り結び

 文中に「ぞ・なむ・や・か・こそ」など、特定の係助詞が上にあるとき、文末の語が終止形以外の活用形になる約束ごと。係り結びは、内容を強調したり疑問や反語をあらわしたりするときに用いられます。

①「ぞ」「なむ」・・・強調の係助詞
 ⇒ 文末は連体形
   例:~となむいひける

②「や」「か」・・・疑問・反語の係助詞
 ⇒ 文末は連体形
   例:~やある

③「こそ」・・・強調の係助詞
 ⇒ 文末は已然形
   例:~とこそ聞こえけれ

『万葉集』掲載歌の索引

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