大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

春霞たなびく田居に廬つきて・・・巻第10-2248~2250

訓読 >>>

2248
秋田刈る刈廬(かりいほ)を作り廬(いほ)りしてあるらむ君を見むよしもがも

2249
鶴(たづ)が音(ね)の聞こゆる田居(たゐ)に廬(いほ)りして我(わ)れ旅なりと妹(いも)に告げこそ

2250
春霞(はるかすみ)たなびく田居(たゐ)に廬(いほ)つきて秋田刈るまで思はしむらく

 

要旨 >>>

〈2248〉秋の田を刈るための仮小屋を作って、そこに寝泊まりしていらっしゃるはずのあなたに、お逢いする手立てがあればよいのに。

〈2249〉鶴の声が聞こえる田んぼで小屋住みをして、私は旅にいると妻に知らせておくれ。

〈2250〉春霞がたなびく田んぼに仮小屋を作り、秋の田を刈るまでの長い間を、妻を思い続けさせることだ。

 

鑑賞 >>>

 「水田に寄す」歌。2248の「廬り」は、仮小屋に泊まること。「見むよしもがも」の「よし」は、方法。「もがも」は、願望。2249の「田居」は、田んぼ。「告げこそ」の「こそ」は、願望。この時代、田んぼが住居の近くに必ずあるわけではなかったので、万葉びとは、収穫期などに自らが耕地に赴くことについても「旅」と呼んでいます。妻に逢えないのは、その旅のせいです。2250の「廬つきて」は、仮小屋を建てて。「思はしむらく」は「思はしむ」の名詞形で、妻を思わしめることよ、と詠嘆して言ったもの。

 平城京に勤務する律令官人たちも、このような自らの耕作地への旅をしていました。官人の休暇について定めた假寧令(けにょうりょう)には、京内の役人が毎年5月と8月に15日ずつの農繁休みを取ることを定めた条項があります。この期間には、平城京の役人らが田園に帰っていたのです。山間部にある田んぼだと、ここの歌にあるように、耕作地の傍に小屋を建てて起居することもあったようです。

 

※ 参考文献はこちらに記載しています。⇒『万葉集』について

『万葉集』掲載歌の索引