大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

佐保山を凡に見しかど・・・巻第7-1333~1335

訓読 >>>

1333
佐保山(さほやま)を凡(おほ)に見しかど今見れば山なつかしも風吹くなゆめ

1334
奥山の岩に苔生(こけむ)し畏(かしこ)けど思ふ心をいかにかもせむ

1335
思ひあまりいたもすべ無(な)み玉たすき畝傍(うねび)の山に我れ標(しめ)結(ゆ)ひつ

 

要旨 >>>

〈1333〉これまでは佐保山を大して気にも留めずにいたが、あらためて見ると親しみやすくて心惹かれる山だ。風よ吹かないでくれ、決して。

〈1334〉奥山の岩は苔が生えていて恐ろしいけれど、そんな奥山を思う私の心をどうしたらいいのだろう。

〈1335〉恋しさに堪えかね、あまりのやるせなさに、神の領せられる畝傍山に標を張ってしまった。

 

鑑賞 >>>

 「山に寄する」歌。1333の「佐保山」は、奈良市の北の丘陵地。ここは、見馴れてきた女、または幼馴染の女に喩えており、固有名詞になっているのは、女がそこに住んでいるためかもしれません。「凡に見しかど」は、おおよそに見ていたけれども、平凡だと思っていたけれども。「今見れば山なつかし」は、今見ると心惹かれる。「風吹くなゆめ」の「ゆめ」は、強い禁止の副詞。私が相手の女に近づくのを邪魔するな、の意の譬喩になっています。

 1334の「奥山の岩に苔生し」は、高い身分の女の譬喩。神秘な奥山の岩に苔が生えるといっそう神秘さが増して恐ろしく感じられるので、「畏けど」と言っています。上2句を「畏けど」を導く序詞とする説がありますが、ここは譬喩と見ています。「思ふ心」は、奥山の岩を思う心、そこへ行きたいと思う心。「いかにかもせむ」の「かも」は疑問で、どうしたらいいのだろうか。

 1335の「思ひあまり」は、恋しい思いが心に余って。「いたも」は、甚だしくも。「すべ無み」は、方法が無くて。「玉たすき」の「玉」は、美称。たすきを項(うなじ)にかけたことから、同音の「うね」にかかる枕詞。「畝傍の山」は、奈良県橿原市にあり、大和三山の一つである畝傍山(標高199m)。「標結ひつ」の「標」は、占有のしるしで、それを結びつけるのは、世間に示すこと。自分の恋人であることを公にしたことの譬喩。畝傍山は長く裾野を引いた引いた姿が優雅であり、作者は、神聖なこの山を人妻か高貴な女性に譬え、こらえきれなくてその女と関係を結んだと言っています。

 

 

『万葉集』掲載歌の索引

【為ご参考】万葉仮名