訓読 >>>
2573
心さへ奉(まつ)れる君に何をかも言はずて言ひしと我(わ)がぬすまはむ
2574
面(おも)忘れだにも得為(えす)やと手(た)握(にぎ)りて打てども懲(こ)りず恋といふ奴(やつこ)
2575
めづらしき君を見むとこそ左手(ひだりて)の弓(ゆみ)取る方(かた)の眉根(まよね)掻(か)きつれ
2576
人間(ひとま)守(も)り葦垣越(あしがきご)しに我妹子(わぎもこ)を相(あひ)見しからに言(こと)ぞさだ多き
要旨 >>>
〈2573〉私の心まで捧げているあなたに、何だって、言わないことを言ったなどと嘘をついたりしましょうか。
〈2574〉せめて顔だけでも忘れられないかと、こぶしを握り、打てども打てども懲りもしない、恋という奴(やっこ)は。
〈2575〉なかなかやって来ないあなたに逢えないかと、左手の弓を取る方の眉を掻いたことでした。
〈2576〉人目のない隙を窺って、葦垣越しにあの子を見ただけなのに、世間の噂がやたらとうるさい。
鑑賞 >>>
「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。2573の「奉れる」は、捧げている、差し上げている。「何をかも」の「か」は、疑問の係助詞で、反語となっているもの。「言はずて言ひしと」は、言わないことを言ったと。「ぬすまふ」は、ごまかす意。2574の「手握りて」は、こぶしを握り。「得為やと」の「得」は、可能を表す副詞、「や」は疑問。「奴」は、奴婢。恋を激しく罵倒しており、「恋の奴」という言い方は当時の人々に好まれたとみえ、他のいくつかの歌に見られます。
2575の「眉根」は、眉。眉がかゆくなるのは恋人に逢える前兆とされた俗信を踏まえています。また、左のほうの眉だけかゆいのは、珍しい人に逢う前兆だともされていたようです。この歌は、珍しく来訪した夫を迎えての喜びの歌と見えます。2576の「人間」は、人のいない時。「守る」は、窺う。「さだ」は、甚だ。
※ 参考文献はこちらに記載しています。⇒『万葉集』について