訓読 >>>
2580
面形(おもがた)の忘るとあらばあづきなく男(をのこ)じものや恋ひつつ居(を)らむ
2581
言(こと)に言へば耳にたやすし少なくも心のうちに我(わ)が思はなくに
2582
あぢき無く何の狂言(たはこと)いま更(さら)に小童言(わらはごと)する老人(おいびと)にして
2583
相(あひ)見ては幾久(いくびさ)さにもあらなくに年月(としつき)のごと思ほゆるかも
要旨 >>>
〈2580〉彼女の面影が忘れられるものなら、男子たるものがこのように不甲斐なく恋い焦がれていようか。
〈2581〉言葉に出して言うと軽々しく聞こえるだろう。心の底で私は真剣に思っているけれど。
〈2582〉何という愚かなことを言ったものか、今さら何で子供じみたことを言うのか、いい年をして。
〈2583〉逢ってからそんなに長くはないのに、幾年月も経ったように思われる。
鑑賞 >>>
「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」4首。2580の「面形」は、顔の形。「忘るとあらば」の原文「忘戸在者」で、ワスルトナラバと訓むものもあります。「あづきなく」は、ふがいなく。「男じもの」は、男子たるものが。「や」は、疑問の係助詞で反語となっています。片恋に悩みながら、男子としての自尊心を奮い起こして恋から放たれようとしながら、それができない男心を歌っています。一方、私の顔を忘れたのかという詰問に対し弁明している歌と見る立場もあります。
2581は、女に告白した男の歌。「言に言へば」は、言葉に出して言えば。「耳にたやすし」は、耳に何事もなく聞こえる。「少なくも」は、下に打消・反語を伴い、少しだけどころではない、甚だの意。2582の「あぢき無く」は、自分でうんざりする意。「何の狂言」の「狂言」は狂った言で、いったい何を口走っているのか。「小童言」は、子供じみた言。「老人」は、早い年齢から老を言った時代なので、さしたる年齢ではなく、熟年の男が若者のような愛の言葉を発して自分を咎めている歌です。2583の「幾久さにも」は、どれほど久しくも。ヒササは、久シの名詞形。