大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

冬ごもり春の大野を焼く人は・・・巻第7-1336~1338

訓読 >>>

1336
冬ごもり春の大野(おほの)を焼く人は焼き足らねかも我(あ)が情(こころ)焼く

1337
葛城(かづらき)の高間(たかま)の茅野(かやの)早(はや)知りて標(しめ)指(さ)さましを今ぞ悔しき

1338
我(わ)が屋前(やど)に生(お)ふる土針(つちはり)心ゆも思はぬ人の衣(きぬ)に摺(す)らゆな

 

要旨 >>>

〈1336〉こんなに胸が熱く燃えて仕方ないのは、あの春の大野を焼く人たちが焼き足らないので、私の心をこんなに焼くのかしら。

〈1337〉葛城の高間山の上にある茅野ではないが、いちばん先に標をつけた人の物となるように、自分もあの人を早く知って手に入れておいたらよかったが、もう遅い。

〈1338〉庭に生えているつちはりよ、お前は、真心から思ってくれていない人に着物を染められてはいけないよ。

 

鑑賞 >>>

 「草に寄する」歌。1336の「冬ごもり」は「春」の枕詞。大野を焼くのは「焼き畑」のこと。春に野原に火を入れて木や草を焼き、その灰を肥料とする農耕前の作業です。「焼く人」は、恋する相手の喩え。「焼き足らねかも」の「ね」は「ねば」と同じ、「か」は疑問で、焼き足らないからだろうか。「我が情焼く」は、自分の心が恋の思いに焦がれるのは、焼き畑をする人が、その火をつけて、この心を焼くのだ、の意。相手を好きで好きでたまらない気持ちを歌っています。

 1337の「葛城の高間(高天)」は、奈良県御所市高天、金剛山の東側の中腹から山頂に至る地域。葛城地方で最も高所にあるので、高天という地名が付いたという説があります。「茅」は、ススキ、チガヤなどイネ科やカヤツリグサ科の草本の総称で、屋根葺き材料や飼料、燃料などに利用されました。「茅野」は、人目につかない所にいた良い女の譬喩。「標指す」は、自分の所有のしるしの標を立てること。「ましを」の「まし」は、事実に反して仮想する助動詞。「を」は、逆接的に詠嘆する助詞。手遅れになったのを悔やんでいる男の歌です。

 1338の「屋前」は、家の敷地、庭先。「土針」は、ユリ科のツクバネソウまたはシソ科のメハジキではないかとされ、自分の家で育てている娘を譬えています。「心ゆも思はぬ人」は、(土針を)真心から思っていない人。「衣に摺らゆな」は、求婚に応じてはならない意。結婚について娘を戒めた母の歌であり、子を思う親心の哀れ深い歌です。

 

 

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