大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

大坂を我が越え来れば二上に・・・巻第10-2184~2187

訓読 >>>

2184
秋山をゆめ人(ひと)懸(か)くな忘れにしその黄葉(もみちば)の思ほゆらくに

2185
大坂(おほさか)を我(わ)が越え来れば二上(ふたかみ)に黄葉(もみちば)流る時雨(しぐれ)ふりつつ

2186
秋されば置く白露(しらつゆ)に我(わ)が門(かど)の浅茅(あさぢ)が末葉(うらば)色づきにけり

2187
妹(いも)が袖(そで)巻来(まきき)の山の朝露(あさつゆ)ににほふ黄葉(おみち)の散らまく惜(を)しも

 

要旨 >>>

〈2184〉秋山のことは、決して口にしないでほしい。ようやく忘れることのできた、あの美しかった黄葉が思い出されて辛いから。

〈2185〉大坂を越えて二上山までやって来ると、川には黄葉が散って流れている、時雨が絶え間なく降りしきる中で。

〈2186〉秋になって、白露が置くようになったので、我が家の門のあたりに生えている浅茅の葉先が色づいてきた。

〈2187〉妻の袖を巻くという巻来の山の、朝露に色づいた黄葉が散っていくのが惜しまれる。

 

鑑賞 >>>

 「黄葉を詠む」歌。2184の「ゆめ~な」は、強い禁止。「思ほゆらくに」は、思い出されることだのに。病か何かの理由で外出できない人の歌でしょうか。2185の「大坂」は、以前の奈良県北葛城郡下田村(現在は香芝市)で、大和から河内へ越える坂になっています。「二上」は、奈良県当麻町西方にある二上山。北の雄岳、南の雌岳の双峰からなり、万葉人に神聖視されてきました。大津皇子の悲劇にまつわる山としても有名です。「流る」は、空を伝って落ちる状態を言っているもの。「時雨」は、晩秋から初冬にかけて降る小雨。

 2186の「白露(しらつゆ)」は漢語「白露」の翻読語。「浅茅」は、チガヤ。日当たりのよい場所に群生する草で、新芽に糖分が豊富なところから食用にされていました。「末葉」は、幹や枝の先の方の葉。2187の「妹が袖」は「巻」の枕詞。「巻来の山」は、所在未詳。巻向山の誤記とする説もあります。「にほふ」は、美しい色に染まる。「散らまく」は「散らむ」のク語法で名詞形。

 

『万葉集』掲載歌の索引

各巻の概要