大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

鴨君足人の香具山の歌・・・巻第3-257~260

訓読 >>>

257
天降(あも)りつく 天(あめ)の香具山(かぐやま) 霞(かすみ)立つ 春に至(いた)れば 松風に 池波立ちて 桜花(さくらばな) 木(こ)の暗茂(くれしげ)に 沖辺(おきへ)には 鴨(かも)妻呼ばひ 辺(へ)つ辺(へ)へに あぢ群(むら)騒(さわ)き ももしきの 大宮人(おほみやびと)の 退(まか)り出(で)て 遊ぶ舟には 楫棹(かぢさを)も なくてさぶしも 漕(こ)ぐ人なしに

258
人(ひと)漕(こ)がずあらくもしるし潜(かづ)きする鴛鴦(をし)とたかべと船の上(うへ)に棲(す)む

259
いつの間(ま)も神(かむ)さびけるか香具山(かぐやま)の桙杉(ほこすぎ)の本(もと)に苔(こけ)生(む)すまでに

260
天降(あも)りつく 神(かみ)の香具山(かぐやま) うちなびく 春さり来れば 桜花(さくらばな) 木(こ)の暗茂(くれしげ)に 松風に 池波立ち 辺(へ)つ辺(へ)には あぢ群(むら)騒(さわ)き 沖辺(おきへ)には 鴨(かも)妻呼ばひ ももしきの 大宮人(おほみやびと)の 退(まか)り出て 漕(こ)ぎける舟は 棹楫(さをかぢ)も なくてさぶしも 漕がむと思へど

 

要旨 >>>

〈257〉天から降ってきたという天の香具山では、霞立つ春になったので、山に吹く松風に、麓の池には波が立ち、山に咲く桜の花は、木陰が暗くなるほどに咲き、池の沖では、鴨が妻を呼び続けており、岸辺ではあじ鴨の群れが鳴き騒いでいるけれども、宮仕えの人たちが、御殿から退出して舟遊びをした舟には、それを漕ぐ櫓も棹も失せてしまって物さびしい。舟を漕ぐ人もなくて。

〈258〉誰も舟を漕がなくなったのは明らかだ。水に潜る鴛鴦(おしどり)や小鴨(こがも)が舟の上に棲みついている。

〈259〉いつの間にこれほど神々しくなってしまったのか、香具山の尖った杉の根元が苔生すまでに。

〈260〉天から降ってきたという天の香具山では、草木のなびく春になったので、山に咲く桜の花は、木陰が暗くなるほどに咲き、山に吹く松風に、麓の池には波が立ち、池の岸辺ではあじ鴨の群れが鳴き騒ぎ、沖では鴨が妻を呼び続けているけれども、宮仕えの人たちが、御殿から退出していつも漕いでいた舟には、それを漕ぐ櫓も棹も失せてしまって物さびしい。その舟を漕いでみようと思ったものの。

 

鑑賞 >>>

 鴨君足人(かものきみたるひと)は、伝未詳。香具山にあった高市皇子の宮周辺の荒廃を嘆く歌ではないかとされます。257の「天降りつく」は「香具山」の枕詞。「霞立つ」は「春」の枕詞。「あぢ群」は、あじ鴨。「ももしきの」は「大宮」の枕詞。258の「鴛鴦」は、オシドリ。「たかべ」は、小鴨。259の「桙杉」は、鉾先のように尖った杉。

 260は「或る本の歌に曰く」とある歌。「うちなびく」は「春」の枕詞。260の左注には「今考えると、奈良に遷都した後に、旧都(藤原京)を憐れんでこの歌を作ったのだろうか」とあります。奈良遷都は、和銅3年(710年)3月10日。

 

(香具山)

天の香具山

 香具山は、畝傍山耳成山とともに大和三山とよばれ、『万葉集』では単独で9首詠まれており、全体では13首に登場 します。標高152mと、山というより小高い丘のようであり、太古の時代には竜門山地の多武峰の山裾の部分であったのが、その後の浸食作用で失われなかった残り部分といわれています。

 『伊予国風土記』には、天から山が2つに分かれて落ち、1つが伊予国愛媛県)の「天山(あめやま)」となり、もう1つが大和国の「香具山」になったと記されており、また『阿波国風土記』には、「アマノモト山」という大きな山が阿波国徳島県)に落ち、それが砕けて大和に降りつき天香具山と呼ばれたと記されています。

 そうした伝説から、香具山は大和三山の中で最も神聖視され、「天」を冠する名称になったといわれ、また、北麓には天香山神社、南麓には天岩戸神社、頂上には『日本書紀』で初めての神とされた国之常立神(くにのとこたちのかみ)を祀る國常立(くにとこたち)神社があります。