訓読 >>>
1261
山守(やまもり)の里(さと)へ通ひし山道(やまみち)ぞ茂(しげ)くなりける忘れけらしも
1262
あしひきの山椿(やまつばき)咲く八(や)つ峰(を)越え鹿(しし)待つ君が斎(いは)ひ妻(づま)かも
1263
暁(あかとき)と夜烏(よがらす)鳴けどこの岡の木末(こぬれ)の上はいまだ静けし
要旨 >>>
〈1261〉山守が里へと通っていた山道は、草が茂ってしまった。妻を忘れてしまったのだろうか。
〈1262〉山椿が咲く峰々を越えて鹿を狙っているあなた。その帰りの無事を祈って待つ身の妻なのですね、私は。
〈1263〉もう暁だと夜烏がしきりに鳴くが、この山の木々の梢は。いまだしんと静まりかえっている。
鑑賞 >>>
「古歌集に出づ」とあり、「時に臨む」すなわち、その時々に臨んで思いを述べた歌3首。1261の「山守」は、山を管理し、木材や狩猟の獲物を守る番人のことですが、ここでは愛する男を呼んでそう言っています。山を越えて通ってくるからでしょう。「茂くなりける」は、草木が生い茂り、道が塞がってしまうこと。通う人がいなくなったという客観的な事実を示します。「忘れけらしも」は、忘れてしまったらしいなあ。「けらし」は「ける(過去)」+「らし(推定)」で、確信に近い推量。「も」は、詠嘆。男が里にいる妻と疎遠になったため、その道に草木が茂ってしまったと言って恨んでいる歌で、単なる「道」の描写が、そのまま心の距離と時の経過を表現しています。
1262の「あしひきの」は「山」の枕詞。原文「足病之」で、足のひきつる病アシナヘを「あしひく」の名詞形でアシヒキとも言ったので、こう書いているもの。「山椿」は、山にある椿。「八つ峰」は、多くの峰。「鹿待つ」は、鹿を狩ろうとして待ち構える意。「斎ひ妻」は、夫の無事を祈って家で潔斎する妻の意。「かも」は、疑問的詠嘆。猟師の間で、猟の幸運を神に祈るために斎戒し妻との共寝を断つことが行われていて、危険が多く、また幸不幸も多い職業である狩猟であるがゆえに、こうした信仰が伴っていたとされます。一方では、「八つ峰越え鹿待つ君」は、浮気な男の譬えで、「斎ひ妻」を帰って来ない男をひたすら待つ女を譬えたものとする見方もあります。
1263の「暁」は、未明、夜明け前のまだ薄暗い時刻。「夜烏」は、ここは、カラスに似た声で鳴くの五位鷺(ゴイサギ)かともいわれます。五位鷺が夜行性の鳥であるのに対し、カラスが鳴き始めるのは、空が明るくなってからです。「木末」は、梢、木の枝の先。昨夜通って来た夫が、夜明け前に帰ろうとするのを、妻が、まだ早いからとて引き留めている心の歌とされますが、斎藤茂吉は次のように述べています。「烏等は、もう暁天(あかつき)になったと告げるけれども、あのように岡の森はまだ静かなのですから、も少しゆっくりしておいでなさい、という女言葉のようにも取れるし、あるいは男がまだ早いからも少しゆっくりしようということを女に向かって言ったものとも取れるし、あるいは男が女の許から帰る時の客観的光景を詠んだものとも取れる。いずれにしても、暁はやく二人がまだ一緒にいる時の情景で、こういうことをいっているその心持と、暁天の清潔とが相まって、快い一首を仕上げている」。
また窪田空穂は、「閨にあって時刻を鳥の鳴き声によって感じるというのは、上代にあっては普通のことであったが、『木末のうへはいまだ静けし』というのは、その家の実際に即したもので、小鳥のいかに多いかをも暗示している、味わいのある句である」と述べています。

枕詞の用例数
- あしひきの 108
- ぬばたまの 80
- しろたへの 61
- ひさかたの 50
- くさまくら 49
- たまほこの 37
- あらたまの 34
- しきたへの 34
- あをによし 27
- まそかがみ 27
- やすみしし 27
- たらちねの 24
- あまざかる 23
- うつせみの 23
- おほふねの 21
- あづさゆみ 20
- ももしきの 20
- こもりくの 19
- たまきはる 19
- たまのをの 18
- もののふの 18
- たまくしげ 16
- たまだすき 16
- たまづさの 15
- うちなびく 14
- わかくさの 14
- うちひさす 13
- ちはやぶる 13
- あまくもの 12
- いさなとり 12
- あかねさす 11
- たまかぎる 11