大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

防人の歌(29)・・・巻第20-4354

訓読 >>>

立鴨(たちこも)の発(た)ちの騒(さわ)きに相(あひ)見てし妹(いも)が心は忘れせぬかも

 

要旨 >>>

立つ鴨のような出立のあわただしさの中を、逢いに来てくれたあの子の心根は忘れようにも忘れられない。

 

鑑賞 >>>

 上総国の防人の歌。「立鴨の」の「こも」は、鴨の方言。譬喩として「発ちの騒き」の枕詞。夫婦関係は結んでいるものの、絶対に秘密にしている間柄であったとみえ、女は、素知らぬさまを装っているのに堪えられず、村の見送りの者の中に立ちまぎれて、よそながら見て別れを惜しんだようです。

 防人は任務の期間も税は免除されなかったため、農民にとってはたいへん重い負担でした。また、徴集された防人は、部領使(ことりづかい/ぶりょうし:引率する係りの者)が同行して連れて行かれましたが、自弁でした。部領使は馬に乗り、従者もいましたが、防人たちは徒歩のみで、夜は寺院などの宿泊場所がなければ野宿させられました。もっと辛いのが任務が終わって帰郷する際で、付き添いも無く、途中で野垂れ死にする者も少なくなかったといいます。遠い東国の人間がなぜ防人に徴集されたかの理由の一つに、強い東国の力を削ぎ、その反乱を未然に防ぐため、あえて東国の男たちを西に運んだとする見方がありますが、容易に帰れないように仕向けたのはそのためだったともいわれます。

 筑紫に着いた防人たちは、軍防令の定めによって土地がもらえました。自給自足の農耕を行うためです。そのためか、出発の時には、弓矢や太刀などの武具のほか、鎌、鍬、斧などの農具が携行品として支給されています。防人といっても実際に戦う機会があったわけではなく、土地がもらえて気候が温暖で文化も進んだ地に馴染み、さらに故郷への帰途が極めて困難となれば、そのまま土着する者も少なくなかったことは想像に難くありません。