訓読 >>>
1676
背(せ)の山に黄葉(もみち)常敷(つねし)く神岡(かみをか)の山の黄葉は今日(けふ)か散るらむ
1677
大和には聞こえも行くか大我野(おほがの)の竹葉(たかは)刈り敷き廬(いほ)りせりとは
1678
紀の国の昔(むかし)弓雄(ゆみを)の鳴り矢もち鹿(しし)取り靡(な)べし坂の上(うへ)にぞある
1679
紀の国にやまず通はむ妻(つま)の杜(もり)妻寄しこせに妻といひながら [一云 妻賜はにも妻といひながら
要旨 >>>
〈1676〉背の山にもみじ葉はいつも散り敷いているけれど、神岡の山のもみじは、今日あたり散っているのだろうか。
〈1677〉大和にいる妻は知っているだろうか、ここ大我野で竹葉を刈り取って敷き、一人わびしく仮寝しているのを。
〈1678〉その昔、紀の国に武勇の者がいて、鳴り矢をうならせて鹿猪(しし)を退治し一帯を平定したという、ここがその坂の上であるぞ。
〈1679〉この紀の国にはいつも通い続けよう。妻の杜の神よ、妻をお授けください。妻という名をお持ちなのですから。
鑑賞 >>>
大宝元年(701年)10月に、持統太上天皇と文武天皇が紀伊国へ行幸なさったときの歌13首のうちの4首。
1676の「背の山」は、和歌山県かつらぎ町にある山。紀の川の右岸にある山で、大和国より紀伊国に行く要路にあたります。「常敷く」は、絶えず散り敷いている。「神岡の山」は、奈良県明日香村の雷丘、または天橿丘。「散るらむ」の「らむ」は現在推量。1677の「大我野」は所在未詳。「竹葉刈り敷き」とあるので、行幸の従駕のうち身分の低い官人の歌と見えます。1678の「弓雄」は、伝説上の英雄または弓の名手、弓を持った猟師とする説があります。「鳴り矢」は、うなりを立てて飛ぶかぶら矢。「鹿」は、悪神の化身。1679の「妻の杜」は、橋本市妻の神社。3・4・5句とも「妻」の語を入れて繰り返しており、戯れ心で詠んだ歌でしょうか。
枕詞あれこれ
神風(かむかぜ)の
「伊勢」に掛かる枕詞。日本神話においては、伊勢は古来暴風が多く、天照大神の鎮座する地であるところからその風を神風と称して神風の吹く地の意からとする説や、「神風の息吹」のイと同音であるからとする説などがある。
草枕
「旅」に掛かる枕詞。旅にあっては、草を結んで枕とし、夜露にぬれて仮寝をしたことから。
韓衣(からごろも)
「着る」「袖」「裾」など、衣服に関する語に掛かる枕詞。「韓衣」は、中国風の衣服で、広袖で裾が長く、上前と下前を深く合わせて着る。「唐衣」とも書く。
高麗錦(こまにしき)
「紐」に掛かる枕詞。「高麗錦」は、高麗から伝わった錦または高麗風の錦で、高麗錦で紐や袋を作ったところから。
隠(こも)りくの
大和国の地名「泊瀬(初瀬)」に掛かる枕詞。泊瀬の地は、四方から山が迫っていて隠れているように見える場所であることから。
さねかづら
「後も逢ふ」に掛かる枕詞。「さねかづら」は、つる性の植物で、つるが分かれてはい回り、末にはまた会うということから。
敷島の/磯城島の
「大和」に掛かる枕詞。「敷島」は、崇神天皇・欽明天皇が都を置いた、大和国磯城 (しき) 郡の地名で、磯城島の宮のある大和の意から。
敷妙(しきたへ)の
「枕」に掛かる枕詞。「敷妙」は、寝床に敷く布団の一種。寝具であるところから、他に「床」「衣」「袖」「袂」「黒髪」などにも掛かる。
白妙(しろたへ)の
白妙で衣服を作るところから、「衣」「袖」「紐」など衣服に関する語に掛かる枕詞。また、白妙は白いことから「月」「雲」「雪」「波」など、白いものを表す語にも掛かる。
高砂の
「松」「尾上(をのへ)」に掛かる枕詞。高砂(兵庫県)の地が尾上神社の松で有名なところから。同音の「待つ」にも掛かる。
玉櫛笥(たまくしげ)
玉櫛笥の「玉」は接頭語で、「櫛笥」は櫛などの化粧道具を入れる箱。櫛笥を開けるところから「あく」に、櫛笥には蓋があるところから「二(ふた)」「二上山」に、身があるところから「三諸(みもろ)」などに掛かる枕詞。
玉梓(たまづさ)の
「使ひ」に掛かる枕詞。古く便りを伝える使者は、梓(あずさ)の枝を持ち、これに手紙を結びつけて運んでいたことから。また、妹のもとへやる意味から「妹」にも掛かる。
玉鉾(たまほこ)の
「道」「里」に掛かる枕詞。「玉桙」は立派な桙の意ながら、掛かる理由は未詳。
たらちねの
「母」に掛かる枕詞。語義、掛かる理由未詳。
ちはやぶる
「ちはやぶる」は荒々しい、たけだけしい意。荒々しい「氏」ということから、地名の「宇治」に、また荒々しい神ということから「神」および「神」を含む語や神の名に掛かる枕詞。
夏麻(なつそ)引く
「夏麻」は、夏に畑から引き抜く麻で、夏麻は「績(う)む」ものであるところから、同音で「海上(うなかみ)」「宇奈比(うなひ)」などの「う」に掛かる枕詞。また、夏麻から糸をつむぐので、同音の「命(いのち)」の「い」に掛かる。
久方(ひさかた)の
天空に関係のある「天(あま・あめ)」「雨」「空」「月」「日」「昼」「雲」「光」などにかかる枕詞。語義、掛かる理由は未詳。
もののふの
もののふ(文武の官)の氏(うぢ)の数が多いところから「八十(やそ)」「五十(い)」にかかり、それと同音を含む「矢」「岩(石)瀬」などにかかる。また、「氏(うぢ)」「宇治(うぢ)」にもかかる。
百敷(ももしき)の
「大宮」に掛かる枕詞。「ももしき」は「ももいしき(百石木」が変化した語で、多くの石や木で造ってあるの意から。
八雲(やくも)立つ
地名の「出雲」にかかる枕詞。多くの雲が立ちのぼる意。
若草の
若草がみずみずしいところから、「妻」「夫(つま)」「妹(いも)」「新(にひ)」などに掛かる枕詞。
⇒ 各巻の概要