訓読 >>>
366
越(こし)の海の 角鹿(つのが)の浜ゆ 大船(おほぶね)に 真梶(まかぢ)貫(ぬ)き下ろし 鯨魚(いさな)取り 海路(うみぢ)に出(い)でて 喘(あへ)きつつ 我(わ)が漕(こ)ぎ行けば ますらをの 手結(たゆひ)が浦に 海人娘子(あまをとめ) 塩(しほ)焼く煙(けぶり) 草枕(くさまくら) 旅にしあれば ひとりして 見る験(しるし)なみ 海神(わたつみ)の 手に巻かしたる 玉たすき 懸(か)けて偲(しの)ひつ 大和島根(やまとしまね)を
367
越(こし)の海の手結(たゆひ)が浦を旅にして見れば羨(とも)しみ大和(やまと)偲(しの)ひつ
要旨 >>>
〈366〉越の海の敦賀の浜から大船の舷(ふなばた)に艪(ろ)をたくさん取り付けて、海に乗り出して喘ぎながら漕いでいくと、立派な男子を思わせる手結(たゆい)の海岸で、海人娘子たちが藻塩を焼く煙が立っているのが見える。旅の途上でひとり見ても甲斐がないので、海の神が手に巻いて持っておられる玉という名をもった玉たすきを懸けるように、心にかけて共に見たいと思った、故郷の大和の国を。
〈367〉越の海の手結が浦を、旅にあって一人見ていると、もったいないほどの絶景に惹かれ、愛しい人のいる大和を思い慕った。
鑑賞 >>>
笠金村が、角鹿(敦賀)の港で船に乗った時に作った歌。どこに向かったのかは分かりませんが、当時の旅行は陸路より海路の方が容易だったことから、でき得る限り船で往き来していたと見られます。また敦賀は、早くから大陸との交通のひらけた要港でもあり、これは記紀の記載にも見られます。
366の「越」は、越前から越後にかけての地。「浜ゆ」の「ゆ」は、起点・経由点を示す格助詞。「真楫」の「真」は、接頭語、「楫」は、左右揃った艪。「貫き下ろし」は、櫓を舷にさし通して。「鯨魚取り」は「海」の枕詞。「ますらをの」は「手結」の枕詞。「手結」は、弓を射る時に手に巻く物で、ますらをが身につける意から、同音の地名の「手結」に掛けたもの。「手結が浦」は、敦賀湾の東岸、今の田結(たい)の海浜。古代には製塩が行われ、皇室の料として近江の塩津から大和へと運ばれていました。「草枕」は「旅」の枕詞。「見る験なみ」は、見る甲斐がないので。「海神の手に巻かしたる」は「玉」を導く譬喩式序詞。「玉たすき」は「懸く」の枕詞。「大和島根」は、大和国の意。367の「羨し」は、珍しく愛すべきという意。
※ 参考文献はこちらに記載しています。⇒『万葉集』について