訓読 >>>
3504
春へ咲く藤(ふぢ)の末葉(うらば)のうら安(やす)にさ寝(ぬ)る夜(よ)ぞなき子ろをし思(も)へば
3505
うちひさつ宮の瀬川(せがは)のかほ花(ばな)の恋ひてか寝(ぬ)らむ昨夜(きそ)も今夜(こよひ)も
3506
新室(にひむろ)のこどきに至ればはだすすき穂に出(で)し君が見えぬこのころ
要旨 >>>
〈3504〉春のころ、垂れ下がる藤の末葉のように、うらうらと心安らかに眠る夜もない、あの子のことを思うと。
〈3505〉宮の瀬川に咲くかお花のように、妻は私を恋しく思って一人さびしく寝ていることだろう、昨夜も今夜も。
〈3506〉蚕の部屋にこもって忙しく作業する時期になったのか、私を好きだと言ったあの人に逢えないこのごろよ。
鑑賞 >>>
3504の「春へ」は、春のころ。「末葉」は、枝先の葉。上2句は、同音の「うら安」を導く序詞。同時に、藤の初々しい若葉に若い女の姿態を連想させています。「うら安」は、心安らかなこと。「子ろ」の「ろ」は接尾語で、妻や恋人を親しんで呼ぶ語。「し」は、強意の副助詞。何らかの事情で逢い難いがために、一夜も快く眠れないと嘆いている男の歌です。
3505の「うち日さつ」は「うち日さす」の訛りで、「宮」の枕詞。「宮の瀬川」は、所在未詳。神社の傍の川の意か。「貌花」はどの花であるか未詳で、昼顔、朝顔、杜若、むくげなどの説や、単に美しい花という説があります。『万葉集』に「かほ花」が詠まれた歌は4首あり、「容花」「貌花」とも書かれます。国語学者の大槻文彦が明治期に編纂した国語辞典『言海』によれば、「かほ」とは「形秀(かたほ)」が略されたもので、もともとは目鼻立ちの整った表情を意味するといいます。上3句は「恋ひて」を導く譬喩式序詞。「恋ひてか寝らむ」は、私に恋い焦がれて寝ることであろうか。貌花がもし昼顔のことなら、夜になると、あたかも思慕の思いを胸中に秘めつつまなこを閉じるように花びらを閉じる花です。そうした姿から、この歌が生まれたのかもしれません。また、社の傍に咲く貌花と言っているのは、あるいは神に仕える女性(巫女)を指しているのでしょうか。
3506の「新室」は新しく造った家。ここでは養蚕のための小屋。「こどき」は「蚕時」で、蚕を飼う時期。「はだすすき」は、表皮を被ったススキの穂で「穂」の枕詞。「穂に出し」は、好意を表面にあらわしたこと。ススキの花穂の赤みがかった色は、恋心に染まる頬の色に通じています。養蚕は、蚕が上蔟(じょうぞく:成熟した蚕を、繭を作らせるために蔟〈まぶし〉という場所 に移し入れること)の頃になると、新しく建物を作り、女たちはそこにこもって働きました。すると、今までのような戸外での作業がなくなるので、好きな男とも会えなくなる、そういうことを歌っています。女の集団労働の場で歌われた歌かもしれません。ただ、当時の農民の住居が竪穴住居であったとすれば、養蚕のためにわざわざ別の建物を建てたとは考えにくいとの疑問も呈されています。
※ 参考文献はこちらに記載しています。⇒『万葉集』について