訓読 >>>
135
つのさはふ 石見(いはみ)の海の 言さへく 唐(から)の崎なる 海石(いくり)にぞ 深海松(ふかみる)生(お)ふる 荒礒(ありそ)にぞ 玉藻(たまも)は生ふる 玉藻なす 靡(なび)き寝し子を 深海松の 深めて思へど さ寝し夜(よ)は 幾(いく)だもあらず 延(は)ふ蔦(つた)の 別れし来れば 肝(きも)向ふ 心を痛み 思ひつつ かへり見すれど 大船の 渡(わたり)の山の 黄葉(もみちば)の 散りの乱(まが)ひに 妹が袖 さやにも見えず 妻ごもる 屋上(やかみ)の [一に云ふ 室上山] 山の 雲間より 渡らふ月の 惜しけども 隠らひ来れば 天伝ふ 入日さしぬれ 大夫(ますらを)と 思へる我(わ)れも 敷栲(しきたへ)の 衣の袖(そで)は 通りて濡れぬ
136
青駒(あをこま)が足掻(あが)きを速み雲居(くもゐ)にぞ妹(いも)があたりを過ぎて来にける
137
秋山に落つる黄葉(もみちば)しましくはな散り乱(まが)ひそ妹(いも)があたり見む
要旨 >>>
〈135〉石見の海の唐の先にある暗礁に深海松は生えている。荒磯に玉藻は生えている。玉藻さながら靡き寄って共に寝た妻を深く心に思っているが、共に寝た夜といえば数えるほど。別れてきたので、心は悲しく痛いほどだ。思いつつ振り返ってみるが、渡の山のもみじ葉が散り乱れるため、妻が振る袖もはっきりとは見えず、屋上の山の雲間を渡る月さながら、名残惜しい限りだが、妻の袖が見えなくなってゆくにつれ、夕日もさしてくる。丈夫と自負する私も、衣の袖が流れる涙で濡れ通ってしまった。
〈136〉青駒の歩みが速いので、ああ遠く遠く、妻の家のあたりを離れてきてしまった。
〈137〉秋山に散るもみじ葉よ、しばらくは、そのように散り乱れるな、妻の家のあたりを見よう。
鑑賞 >>>
柿本人麻呂の長歌と反歌2首。作者は、国司として石見国(今の島根県西部)に赴任したことがあるらしく、現地で妻を娶っています。ここの歌は役目により妻と別れて上京した時に詠んだもののようです。131~132で歌った状況から半日ほど経た夕暮れ時になって、さらに内省的になり、思い沈んで旅路を行く孤独な男を描き出そうとしています。
135の「つのさはふ」「言さへく」「深海松の」「延ふ蔦の」「肝向かふ」「大船の」「妻ごもる」「妻ごもる」「天伝ふ」「敷栲の」は、それぞれ「石見」「唐」「深めて」「別れ」「心」「渡」「屋」「日」「衣」にかかる枕詞。「辛の崎」「渡りの山」「屋上の山」はいずれも島根県の地名とされますが、所在は確定していません。137の「しましくは」は、しばらくは。「な散り乱ひそ」の「な~そ」は、禁止。
135の長歌は、131に比べて枕詞が異様に多くなっています。詩人の大岡信は「この歌に131番とは違った味わいを持たせようとした結果生じたものだろう」と言っています。