訓読 >>>
1247
大汝(おほなむち)少御神(すくなみかみ)の作らしし妹背(いもせ)の山を見らくしよしも
1248
我妹子(わぎもこ)と見つつ偲(しの)はむ沖つ藻(も)の花咲きたらば我(わ)れに告げこそ
1249
君がため浮沼(うきぬ)の池の菱(ひし)摘(つ)むと我(わ)が染めし袖(そで)濡(ぬ)れにけるかも
1250
妹(いも)がため菅(すが)の実(み)摘(つ)みに行きし我(わ)れ山道(やまぢ)に惑(まと)ひこの日暮らしつ
要旨 >>>
〈1247〉大国主命(おおくにぬしのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)がお作りになった妹と背の山、この山は見るからに素晴らしい。
〈1248〉妻とみなして偲ぼうと思うので、沖の藻の花が咲いたら、どうか私に知らせてほしい。
〈1249〉あなたに差し上げるために、浮沼の池の菱の実を摘み採ろうとして、私が染めて作った着物の袖が濡れてしまいました。
〈1250〉妻のために山菅の実を摘みに出かけた私は、山の中で迷い歩いて、今日一日を暮らしてしまった。
鑑賞 >>>
『柿本人麻呂歌集』から「覊旅」の歌。1247の「大汝」は、大国主神の異名。「少御神」は、大国主神に協力して国土経営にあたったとされる少彦名神。「妹背の山」は、和歌山県かつらぎ町の紀の川を挟んで向き合う背の山と妹山。1248の「告げこそ」の「こそ」は願望。
1249の「浮沼の池」は所在未詳ながら、島根県の三瓶山(さんべさん)西南の麓にある浮布池(うきぬいけ)ともいわれます。作者は下級の女官とされ、主人のお供で旅に出かけ、休息の間に故郷にいる夫への土産にするために苦労して菱の実を採ったようです。「菱」は、菱科の水生植物で、『万葉集』には2首詠まれています。1250の「菅」は、カヤツリグサ科スゲ属の植物。ユリ科のヤブランともいわれます。
なお、『人麻呂歌集』から引用された歌の多くは「略体歌」、すなわち原文の表記に自立語に相当する語あるいは自立語の語幹だけが文字化されており、助詞や助動詞などの付属語は文字化されていません。たとえば1249は「君為 浮沼池 菱採 我染袖 沾在哉」、1250は「妹為 菅實採 行吾 山路惑 此日暮」と、いずれもわずか13の正訓字でのみ表記されています。文字化されていない部分に対する補読を「訓(よ)み添え」といい、正訓字でさえ訓が定まらない場合がある中にあって、これらの歌の訓がいかに不安定で揺れやすいかが分かります。1250の歌で言えば、第3句を「行く我を」「行く我は」などと訓じる説があります。