大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

夕月夜心もしのに・・・巻第8-1552

訓読 >>>

夕月夜(ゆふづくよ)心もしのに白露(しらつゆ)の置くこの庭に蟋蟀(こほろぎ)鳴くも

 

要旨 >>>

月の出ている暮れ方、白露が降りたこの庭にコオロギが鳴いているのを聞いていると心がしんみりする。

 

鑑賞 >>>

 湯原王(ゆはらのおおきみ)の「蟋蟀(こほろぎ)の歌」。「夕月夜」は、夕月の出ている日暮れ方。「心もしのに」の「しのに」は、しおれてしまうばかりに、の意。「しのに」は『万葉集』中10例見られますが、そのうち9例が「心もしのに」の形であり、定型表現だったことが知られます。「白露(しらつゆ)」は漢語「白露」の翻読語。「こほろぎ」は、秋に鳴く虫の総称で、松虫や鈴虫なども含んでいたようです。「鳴くも」の「も」は、詠嘆。斎藤茂吉はこの歌を評し、「後世の歌なら、助詞などが多くて弛むところであろうが、そこを緊張せしめつつ、句と句とのあいだに間隔を置いたりして、端正で且つ感の深い歌調を全うしている」と述べています。

 湯原王は、天智天皇の孫、志貴皇子の子で、兄弟に白壁王(光仁天皇)・春日王海上女王らがいます。天平前期の代表的な歌人の一人で、父の端正で透明感のある作風をそのまま継承し、またいっそう優美で繊細であると評価されており、家持に与えた影響も少なくないといわれます。兄弟の白壁王が聖武天皇の皇女(井上内親王)を妻として位階を進め、即位の約1年半後には、皇后や皇太子を廃して獄死させているのと比較すると、王は、人間らしい風雅の道を選んだらしくあります(本心や才能を隠しつつ政争から逃れ、一生無位だったともいわれます)。生没年未詳。『万葉集』には19首。

 

 

『万葉集』掲載歌の索引

湯原王の歌