大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

去年の秋相見しまにま・・・巻第18-4116~4118

訓読 >>>

4116
大君(おほきみ)の 任(ま)きのまにまに 取り持ちて 仕(つか)ふる国の 年の内の 事(こと)かたね持ち 玉桙(たまほこ)の 道に出で立ち 岩根(いはね)踏み 山越え野(の)行き 都辺(みやこへ)に 参(ま)ゐし我(わ)が背(せ)) あらたまの 年行き反(がへ)り 月 重(かさ)ね 見ぬ日さまねみ 恋ふるそら 安くしあらねば ほととぎす 来(き)鳴く五月(さつき)の 菖蒲草(あやめぐさ) 蓬(よもぎ)かづらき 酒(さか)みづき 遊び和(な)ぐれど 射水川(いみづがは) 雪消(ゆきげ)溢(はふ)りて 行く水の いや増しにのみ 鶴(たづ)が鳴く 奈呉江(なごえ)の菅(すげ)の ねもころに 思ひ結ぼれ 嘆きつつ 我(あ)が待つ君が 事(こと)終はり 帰り罷(まか)りて 夏の野の さ百合(ゆり)の花の 花 笑(ゑ)みに にふぶに笑みて 逢はしたる 今日(けふ)を始めて 鏡なす かくし常(つね)見む 面変(おもがは)りせず

4117
去年(こぞ)の秋 相(あひ)見しまにま今日(けふ)見れば面(おも)やめづらし都方人(みやこかたひと)

4118
かくしても相(あひ)見るものを少なくも年月(としつき)経(ふ)れば恋ひしけれやも

 

要旨 >>>

〈4116〉大君の御任命のままに、政務を背負ってお仕えしている国の年内の事柄をすべてとりまとめ、長い旅路に出立し、岩を踏み、山を越え、野を通って都に上って行ったあなた。そのあなたに、年が改まり、月を重ねて逢わない日が続き、恋しさに落ち着かなかったので、ホトトギスが来て鳴く五月の菖蒲や蓬をかづらにして飾り、酒盛りなどして心を慰めようとした。けれども、射水川に雪解け水があふれるばかりに流れゆく水かさのように、恋しさはつのるばかりで、鶴が鳴く奈呉江の菅草のように心の根から塞ぎこんで、嘆きながら待っていた。そのあなたが役目を無事終えて帰ってきて、夏の野に咲く百合の花のようににっこり笑って逢って下さった。この今日の日からは、鏡を見るようにいつもいつもお逢いしましょう。そのにこやかなお顔のままで。

〈4117〉去年の秋にお逢いしたままで、今日お逢いしたら、お顔がすっかり変わっていて、まったく都のお方みたいですね。

〈4118〉こうしてまたお逢いできるのに、お逢いできずに年月ばかりが経っていくものだから、恋しくてなりませんでした。

 

鑑賞 >>>

 大伴家持の歌。 題詞に次のようにあります。「国の掾(じょう)米朝臣広縄(くめのあそみひろなわ)が、天平20年(748年)に朝集使となって上京した。その役目を終えて天平勝宝元年(749年)の閏5月27日に帰任した。そこで、長官の館で詩酒の宴をもうけて楽しく飲んだ。そのときに主人の家持が作った歌」。「掾」は国司の三等官で、「朝集使」は一年間の政情を記した朝集帳を太政官に提出する使者。その時期は、畿内の国は10月1日、七道の国は11月1日と決められていました。広縄が出発したのは前年の10月半ばだったとみられ、半年以上を経て帰国したようです。

 4116の「任き」は任命して派遣すること。「まにまに」は従って、承って。「かたね」は、束ね、総集して。「玉桙の」は「道」の枕詞。「都辺」は、都の方。「あらたまの」は「年」の枕詞。「さまねみ」は、重なるので。「かづらく」は、草木の枝を髪飾りとして着ける。「酒みづく」は酒宴をする。「射水川」は、富山湾に注ぐ現在の小矢部川。「奈呉江」は、射水市にある入江。「にふぶに」は、にこやかに。「鏡なす」は「見」の枕詞。「面変はり」は、容貌が変わること。4117の「まにま」は、その時以来。「都方人」は、都人。