大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

東歌(48)・・・巻第14-3460

訓読 >>>

誰(た)れぞこの屋の戸(と)押(お)そぶる新嘗(にふなみ)に我(わ)が背(せ)を遣(や)りて斎(いは)ふこの戸を

 

要旨 >>>

いったい誰なの、この家の戸をがたがた押し揺さぶるのは。新嘗祭を迎えて夫を遠ざけ、家内で身を清めているこの戸を。

 

鑑賞 >>>

 「押そぶる」は、押し揺さぶる。五穀豊穣を祈り、神に秋の初穂を捧げる新嘗の夜の歌で、神を迎える巫女の役目を、民家では主婦が担いました。巫女は独身でなければならないため、夫を外へ出して独身を装います。この夜は夫の不在が明らかなので、日ごろ目をつけていた人妻に言い寄ろうとする不届きな男が、チャンスとばかりに忍び込もうとするのです。

 しかし、新嘗の祭りの日のこのタブーは厳しくて、この歌のようなことはまず現実にはありえなかっただろう、というのが一般的な見方です。折口信夫は、「信仰と現実生活の矛盾を詠んだもの。勿論、信仰衰へた時代には、さうした忍び男も出たであらうが、まづ、かうしたことは空想であらう。切実な恋愛を考へた、一種の戯曲的な歌と見てよからう」と述べています。なお、東歌の中にはもう1首この新嘗の祭りの歌があり(3386)、そこでも夫が家を出されたことがうたわれています。

 

 

新嘗祭(にいなめさい/しんじょうさい)

 宮中で行われる祭祀の一つで、農業国の宗教的首長としての天皇が、その年に収穫された新穀を天神・地祇にに供えて感謝の奉告を行い、これらの供え物を神からの賜りものとして自らも食する儀式のこと。古くからの行事であり、『日本書紀』の中にも何度も記されています。現在の「勤労感謝の日」(11月23日)は、昭和23年7月の「国民の祝日に関する法律」公布以前は「新嘗祭」と呼ばれていました。

 ただし、上掲の歌でうたわれている新嘗祭は、こうした宮廷行事とは無関係で、東国農民の間で行われていた民間行事としての新嘗の祭りです。具体的にどのようなことが行われていたのかの詳細は不明ですが、男性は家の外に出され、女性だけが残って神をもてなす儀式を行ったようです。