大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

春日野の山辺の道を・・・巻第4-518

訓読 >>>

春日野(かすがの)の山辺(やまへ)の道を恐(おそ)りなく通(かよ)ひし君が見えぬころかも

 

要旨 >>>

春日野の山添いの道、その恐れ多い道を恐がることもなく通って来られたあなたなのに、近ごろはいっこうにお見えになりませんね。

 

鑑賞 >>>

 石川郎女(いしかわのいらつめ)の歌。ここの石川郎女は「佐保の大伴家の大刀自(女主人)」とあり、大伴安麻呂(旅人・坂上郎女らの父)の妻となった女性です。宮廷にその才を謳われた内命婦(自身が五位以上の女官)であり、後に彼女が生んだのが、稲公坂上郎女です。「春日野」は、奈良の春日山三笠山のふもとに広がる野で、現在の奈良公園を含む地域。「妻問い婚」の時代にあっては、結ばれて夫婦になった後も、待つ身の女にとっては、こうした悩みの種は尽きなかったようです。

 なお、この歌の前に大伴安麻呂の「神樹(かむき)にも手は触(ふ)るといふをうつたへに人妻といへば触れぬものかも」(517)の歌があり、これら2首が贈答の関係にあるとしたら、安麻呂は人妻である石川郎女に歌を贈ったことになります。石川郎女は安麻呂と結婚する以前、人妻だったのでしょうか。しかし、二人の結婚は持統期に入ってからとされているので、都は飛鳥か藤原にあったことになり、二人もそれらの地かその近辺に住んでいたはずです。ところが、郎女の歌には「春日野の山辺の道を恐りなく通ひし君」とあるので、そんな遠方から通って来たとは考えられません。そうすると、郎女の歌は平城京遷都後の歌ということになりますが、その頃、二人は既に結婚しています。従って、郎女の歌は安麻呂の歌に答えたものではありません。題詞に贈答を示す記述もなく、単に夫婦ということで2首を並べたものと見られます。

 

石川郎女について

 『万葉集』には石川郎女(いしかわのいらつめ)の名の女性が6人登場します(大友安麻呂の妻・内命婦石川郎女を除く)。

① 久米禅師に求愛され、歌を贈答した女性。~巻第2‐97・98
大津皇子の贈歌に対して答えた女性。~巻第2-108
③ 日並皇子(ひなめしのみこ)と歌を贈答し、字を大名児(おおなこ)という女性。~巻第2-110
④ 大伴田主に求婚し拒絶された女性。~巻2-126・128
大津皇子の侍女で、大伴宿奈麻呂に歌を贈った女性。~巻第2-129
⑥ 藤原宿奈麻呂朝臣の妻で、離別された女性。~巻第20-4491

 いずれも生没年未詳ですが、②③④の石川郎女が同一人とみられているようです。また、これらの石川郎女坂上郎女の母である内命婦石川郎女とがどのような関係になるのかも分かっていません。