訓読 >>>
秋さらば今も見るごと妻ごひに鹿(か)鳴かむ山ぞ高野原(たかのはら)の上
要旨 >>>
秋になると、ご覧のように、妻恋の鹿の声が聞こえてくる山です、この高野原の上は。
鑑賞 >>>
長皇子(ながのみこ)が、自身の邸宅(佐紀宮)で従兄弟の志貴皇子と宴(うたげ)した時の歌。「秋さらば」は、秋になると。「高野原」は、奈良市佐紀町の佐紀丘陵から西南の一帯。中国の詩集『詩経』に載っている、賓客を遇する『鹿鳴』の知識を取り込んでいるとされます。『鹿鳴』は、明治期に建てられた鹿鳴館の名の由来となった漢詩です。
斉藤茂吉は、「この御歌は、豊かで緊密な調べを持っており、感情が濃(こま)やかに動いているにも拘らず、そういう主観の言葉というものが無い。それが、『鳴かむ』といい、『山ぞ』で代表せしめられている観があるのも、また重厚な『高野原の上』という名詞句で止めているあたりと調和して、万葉調の一代表的技法を形成している」と評しています。
長皇子は天武天皇の第4皇子で、母は天智天皇の娘の大江皇女。また弓削皇子の異母兄にあたります。『 万葉集』には5首の歌が載っています。子女には栗栖王・長田王・智努王・邑知王・智努女王・広瀬女王らがおり、また『小倉百人一首』の歌人の文屋康秀とその子の文屋朝康は、それぞれ5代、6代目の子孫にあたります。