大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

家思ふと心進むな・・・巻第3-381

訓読 >>>

家(いへ)思(も)ふと心(こころ)進むな風守り好(よ)くしていませ荒(あら)しその路(みち)

 

要旨 >>>

家路が恋しいといって、心を逸(はや)らせてはだめです。風の具合をよくうかがいながらいらしてください。その路は荒々しい道ですから。

 

鑑賞 >>>

 筑紫娘子(つくしのをとめ)が、都に帰る人に贈った歌。題詞には、娘子は筑紫の遊行女婦(うかれめ)で、字(あざな)を児島(こじま)というとあります。大伴旅人大宰府にあったときに親しくした相手らしく、彼が太宰帥の任を終えて上京するときにも歌を詠んでいます(巻第6-967・968)。ここの歌を贈った相手は誰ともわかっていませんが、挨拶をふつうの会話に代えて歌をもってしたもので、調べの美しさよりも口語に近づけようとしています。「心進むな」は、心逸るな。「風守り」は、風の具合をうかがって。「いませ」は「行け」の敬語。

 

 

遊行女婦について

 「遊行女婦」の「遊び」とは、元々、鎮魂と招魂のために歌と舞を演じる儀礼、つまり祭りの場に来臨した神をもてなし、神の心なぐさめる種々の行為を意味しました。「宴」が「遊び」とされたのも、宴が祭りの場に起源をもつからです。

   そうした饗宴の場には、男性と共に女性も必要とされました。ところが、律令国家が成立して以降は、女性は次第に公的・政治的な場から排除されるようになります。官人らの宴席に、男性と同等の立場で参加できる女性は限られてきました。

 中央には後宮があり、貴族の宴席に侍ってひけをとらない教養を持った女官がいましたが、律令規定では地方に女官は存在しません。その代わりに登場したのが遊行女婦だったと考えられています。